2.恒の思惑
海は星の存在を疎ましく思い、イライラした気分で家を飛び出した。そのまま何時間か夜道をさまよっていようかとも思ったが、もし悠一が恒に連絡を入れたら面倒くさいことになる。この場合の『面倒くさい』は恒からの長~いお説教+おしおき、もちろん悠一からも怒鳴り飛ばされ、泣くまでお尻を叩かれることになるだろう。
海と言えども、今までの経験上さすがに学習したようだ。
“こんなときにおしおきされたら、もっと気が滅入っちゃうもん。”
今はいろいろと干渉されたくない。ひとりになりたい。放っておいてほしい。
そんな気持ちのまま、久藤整形外科の玄関の前をうろうろしていた。診察時間は終了していて患者さんの姿はなかったが、スタッフの人たちが忙しそうに後片づけをしているのが見えた。邪魔しないように外でもう少し待っていようと思っていると、ドアが開いて恒が顔をのぞかせた。
「海ちゃん、こんばんは。どうぞ入って。」
「こんばんは。」
「診察?それとも勉強しに来た?」
心配そうに言われたので、
「現実逃避・・・。」
と答えると、ハハハと大声で笑われた。
“笑うとこじゃないんだけど。”
不満そうにしているのが通じたのか、何も言わずに頭をポンポンされてしまった。看護師さんたちが見ている前でそんな風にされて、海は頬がほてるのを感じた。
恒は海を医局のイスに座らせると、
「ちょっと待ってて。」
と言って、ミルクティーを入れてくれた。夜道が寒くて手がかじかんでいたので、熱くなったカップで両手を温めた。
恒は白衣を脱ぎながら、
「海ちゃん、何かあった?」
「うーん・・・嫌いな子がうちに来たから、逃げ出して来たの。」
「嫌いな子?」
「うん。空の陸上部の後輩で星っていうんだけど、職場体験のことでお兄ちゃんに用事があるみたい。」
「そうなんだ。何で嫌いなの?」
「あいつ、私に果たし状なんて送りつけてきたんだよ。信じられないでしょ?」
「えっ?果たし状って?」
ヒップハートの講習会のとき、恒はたかやんから話を聞いていたが、
「どういうこと?」
知らないふりをして尋ねると、海は教育実習に来ていた月美の話から星の果たし状に至るまでの経緯について話し出した。
話を聞き終えると恒は、
「海ちゃんは星くんのことも嫌いだし、風守先生のことも嫌いなんだね。」
「・・・。」
海は怒られるかもしれないと思いながらも、かなり本音の部分を話してしまったので、恒の反応が不安だった。恒は“困った子だね”という表情をしたものの、笑顔でやんわりと、
「ずいぶんとわがままなお嬢さんだ。」
「だって、2人ともうざいんだもん。」
海はホッとして、余計なことまで口走ってしまった。
「果たし状に書いてあったように、星くんは海ちゃんをひどい目に遭わせたの?それとも海ちゃんが風守先生をいじめるのをやめたのかな?」
「星のせいで、お兄ちゃんと藤重先生と二谷先生に怒られたから・・・。」
「お尻たくさん叩かれたんだね?それでしっかりと反省できたってことだよね?」
「うん。風守先生には悪かったって思うけど・・・。」
「星くんのことは、まだしっくりきてない?」
「あいつ見てると、イライラしてくるんだもん。学校では空に見張られてて、この間の講習会のときも空に「握手しろ」って言われて一応そうしたけど・・・。」
「何でそんなに星くんのこと嫌いなの?」
「直接話したことないから、何考えてるのかよく分からないし、だいたい果たし状なんて送って来るヤツ、意味不明でしょ?」
「まあ普通はしないだろうね。」
「きっと頭おかしいんだよ。」
「海ちゃん、ちゃんと話したことないのに、そういうこと言わないの!きっと星くんの方も、海ちゃんのこと全然知らなくて、お互いにギクシャクしてるんじゃないかな?海ちゃんから話しかけてみればいいのに。でもそれには、まずきちんと謝る必要があると思うけどね。」
「何で私が謝らなきゃいけないの?」
「海ちゃん、自分が悪いと思ってないの?」
「風守先生にしたことは反省してるけど、星には別に悪いことしてないもん。こっちこそ謝ってほしい。」
「そうか。まだ和解できてない状態なんだね。」
「あんなヤツと関わりたくないから、和解なんてしなくていいんだけど。」
「ハハハ、相当嫌いみたいだね。普段接点がないのなら、このままで構わない気もするけど。」
「でも・・・何でか分からないけど、お兄ちゃんとすごく仲良くなってて。職場体験で初めて会ったはずなのに、ずっと前から知ってる子みたいに楽しそうにしてるの。もしかしたら、これからもうちに遊びに来るかもって思うとムシャクシャして、ますます嫌いになってくる。」
「やきもち焼いちゃってるんだね、星くんに。」
「そんなんじゃないよ!」
「悠一を取られそうで嫌なんでしょ?」
「違うってば!」
「海ちゃんの方が年上なんだし、もう少し素直な気持ちになって、星くんのことを受け入れてあげることはできない?」
「無理。」
「完全にへそ曲げちゃってるんだね。」
「恒先生も結局、海のこと悪く言うんだね・・・。相談なんてしなければよかった・・・。」
海は後悔した。
「おしおきしておこうか?」
「何でそうなるの?海、悪いことしてないもん。」
「素直になれるおしおき。」
「もう充分素直だから大丈夫。」
「星くんと仲直りするためのおしおき。」
「もう恒先生なんて嫌い!そんなのこじつけじゃん。すぐそうやっておしおきにもってくの、ズルイ!」
「まあだまされたと思って、こっちおいで。今の海ちゃんには、お尻叩くのが一番だと思うよ。」
海は首を振ったが、恒に手を引かれ体をグイッと引き寄せられた。海はふと、この間よわしにお尻を叩かれたときのことを思い出した。
“あのときはお尻を叩いてほしかった。風守先生のことばかり構ってないで、自分の存在を認めてもらいたかった。いっぱいお尻を叩かれて、いっぱい泣かされて、すごく痛かったけどそれでも嬉しかった。でも今は違う!恒先生には話を聞いてもらって、甘えたかっただけ。「海ちゃん大変だったね。」って、優しい言葉をかけて慰めてほしかっただけなのに、どうしてそれがおしおきに繋がっちゃうの・・・。”
海は恒の目の前に立たされて、
「嫌いって言ってしまうのは簡単なことだけど、その人のことをよく理解していないのに、頭からそう決めつけるのはよくない。我慢してでも、歩み寄る努力はしてみた方がいい。それでもうまくいかないのなら、考え方の違いや相性の問題で仕方のないことかもしれない。
幼稚園生だったら、お友達のことを好き、嫌いって直感で判断してもいいんだろうけれど、海ちゃんはもう中学3年生なんだからもっと大人の対応をするべきじゃないかな?例えばこれが大学の教授や会社の上司だったり、もっと先の話をすれば将来だんなさんになる人のご両親だったり、避けることのできない人だとしたらどうする?嫌いだから関わらない、何か言われても無視するっていう自分勝手な行動をとる訳にはいかなくなる。
もうすぐ高校生になるんだから、そうやっていつまでもわがまま言ってるのは感心しないな。」
キッパリと言われた。
恒は海のわがままを見過ごすつもりはなかった。星の件に関しては、『果たし状』の話を講習会で聞いた時点で、いつか自分も海に話をする機会があるだろうと予想していた。海の性格を熟知した上で、それが正当な主張なのか、それとも身勝手な言い分なのかを見極め、彼女を納得させるよう導くにはどうしたらいいか?頭ごなしに叱りつけるつもりはないし、精神的に追い込むのも得策ではないだろう。
自分の居場所を失い家を飛び出し、心の安らぎを欲している今の状態で、海のことを責め立てすべてを否定してしまったら、どこへも逃げ場がなくなってしまう。そんなとき頼りにしてくれた気持ちは大切にしたいし、支離滅裂なことを言ってふてくされているお嬢さんをかわいくも感じる。
海の本音を探りながら感情の変化や自己中ぶりをチェックして、少し時間をかけて甘やかした会話をしてみたが、海はそんな恒の想いを知る由もなくますます調子に乗ってくる。やはりここは『おしおき』の力を借りる必要があるようだ。海に言わせれば「ズルイ!」に相当するのだろうが、そう仕向けているのは海本人であるということを自覚するべきなのに・・・。
「もうっ、面倒くさいなっ。」
恒がここまで言っている以上、決して妥協することはないと分かっていた。嫌々恒の方へ体を寄せると、スッと腰に手を回され、そのままひざの上に寝かされた。スカートの上からポンポンとお尻を叩かれ、
「海ちゃんがいい子になれますように。」
おまじないでもかけるように言うと、スカートをめくられてパンツを下ろされた。
バチン、バチン、バチン、バチン、バチン・・・・・
いつもはもっと痛いはずなのに、今日は全然痛くなかった。少しだけピリッとしたおしおきで、そのピリッの中には恒からのエールが含まれているような気がした。海がそれを素直に受けとめられるかどうかは別として・・・。
「海ちゃん、先生がさっき言ったこと理解できた?」
“あーあ、またお説教が始まっちゃう・・・。”
決して口には出さなかったが、もう長ったらしいお説教はうんざりだった。ひざの上に乗せられて、お尻に手を当てられて、絶対的に不利な状況でそんな質問をするなんて・・・。
“結局、恒先生も星の味方なんじゃん。みんなで、星、星って、もうたまんない!”
どうやら恒の想いの詰まった優しいおしおきは、海の心には届かなかったようだ。
そこに病院のチャイムが鳴った。
つづく