2.言葉でのおしおき
ドアが開き、慶が退会届を手に戻って来た。
あの気の強い美鈴が大泣きして謝っている姿を見て、慶はとっさに
“ほっぺたか?お尻か?”
と思い様子を見たが、どこも痛そうな感じはしなかった。
“この人はこの短い時間で、どうやってここまで彼女を追い詰めることができたのか?手をあげたのではなさそうだから、説教だけでこんなにボロボロにしてしまうのか?”
慶は天野の恐ろしさを改めて認識した。
「慶、ご苦労様です。美鈴ですが、今回はしっかりと反省できたようなので、特別に処分はナシにしようと思います。」
慶は天野の言葉を聞いて安堵した。
「ありがとうございます。」
「でも万が一繰り返した場合には、次こそ容赦なく対応しますから、肝に銘じておいてください。」
「はい。」
慶の返事にうなずきながら、天野は美鈴の方を向き、
「美鈴もいいですね?」
こんなとき真剣な表情をするのではなく、満面に笑みを浮かべる天野は、悪魔なのか?・・・それとも天使なのか?いずれにしても逆らってはいけない相手であることは、慶も美鈴も思い知らされたはずである。
「はい。」
美鈴はしゃくりあげながら返事をすると、その場にペタリとしゃがみ込んだ。
「慶、あとは任せましたよ。その書類、せっかく取ってきてもらったのに無駄になってしまいましたが、まあ印籠代わりにでも使ってください。」
「印籠ですか?」
「かなり効果はありそうですよ。美鈴、そうですよね?」
いったん泣き止んだ美鈴が再び涙を流し始めると、天野はその場を逃げるように部屋から出て行った。
「女性の涙は苦手なので・・・。」
このつぶやきが2人の耳に届いたかどうか。美鈴のこと、さんざんお説教して泣かせておいて・・・。
「美鈴、大丈夫か?」
慶はしゃがんで美鈴の顔をのぞき込んだ。
「慶さん、本当にごめんなさい。」
美鈴は恥ずかしそうに、涙を拭いながら謝った。
“この子はこんな表情をするのか?”
と思うぐらい素直な態度に驚き、
「天野さん、厳しかっただろ?これからはお互いに気をつけような。」
つい本音を口走ってしまった。
「うん。みんなを悲しませちゃうところだった。」
「よかったな、強制送還されなくて。」
何も知らない慶を見て、美鈴はもう一度、
「ごめんなさい。」
と心の底から謝った。
“もし慶が自分のせいで帰らされてしまったら、他の4人はがっかりして悲しむだろうし、私自身、後悔の念に押しつぶされていただろう。”
そのくらいC班のメンバー5人にとって、慶は大切な存在になっていた。美鈴はいろいろな意味を込めて、
「慶さん、ありがとう。」
と言って部屋へ戻った。
美鈴の帰りを待ちわびていた4人は、彼女の泣き腫らした顔を見て言葉に詰まった。
「ごめんね。時間かかっちゃった。天野さんにたっぷり叱られちゃったよ。」
みんなが心配してくれている状況を察して、あえて明るく振る舞った。
「大丈夫だったの?」
秋歩が代表して聞くと、
美鈴「うん。何とか。」
琴羽「おしおきされちゃった?」
美鈴「おしおきはされなかったよ。」
遼太郎「じゃあ何でそんな真っ赤な目してんだ?泣かされたんだろ?」
美鈴「うん。私、お説教されてこんなに泣いたの初めてだよ。お尻もほっぺも痛くなかったけど、胸の奥の方がキューンって締めつけられる感じがして、気づいたら涙があふれ出してボロボロになってた。」
星「天野さん、怖かった?」
美鈴「すごーく怖かった。けど、優しかった。」
遼太郎「さっぱり分かんねーけど、とにかく無事でよかった!」
1人だけ戦いに送り出した仲間が、大役を果たして戻って来たような、4人はそんな心理状態だった。
秋歩「美鈴、もう携帯は使わない方がいいね。」
美鈴「そんな生易しいもんじゃなくて、もう絶対に使えない。」
ブンブンと頭を振って答えた。
そんな姿を見て、美鈴が受けてきた『言葉でのおしおき』がどんなに強烈であったのか、4人は同情するとともに、間接的に天野の怖さを感じとった。
2日目の午前中は山登り。am8:00に出発して、頂上にam10:00に到着。1時間休憩して、お昼前には宿に戻って来る予定だ。リーダーは同伴せず、各班ごとに行動することになっている。
リュックには水と軽食、タオル、救急セットを入れ、5人は元気よく
「行って来ま~す!」
と慶に手を振った。ついさっき泣き顔のまま慶と別れた美鈴も、普段どおりではなかったが、明るい表情に戻っていたので安心した。
“きっと他のメンバーが慰めてくれたのだろう。こういうとき、仲間の存在ってありがたいよな。”
見るからに浮かれている遼太郎をにらみつけ、
「おまえら問題起こすなよ。何かあったら、お尻真っ赤になるまでおしおきだからな!」
クギを刺されたにも関わらず、
「はぁ~い。」
と信ぴょう性のない返事をして出発していった。
それほど急な登りではなかったが、最後に何か所か鎖場があって、そこだけは慎重に足を進めた。星は陸上部だし、遼太郎は野球部なので、体力には自信があった。美鈴は帰宅部だが、体操教室に通っていて体を動かすことは好きだった。秋歩は吹奏楽部。これもなかなか体力が必要で、自主練として毎日ジョギングをしているので問題はなかった。
ただ1人、心配なのは琴羽だった。運動は苦手だと言うし、体つきもきゃしゃなので、男子2人は荷物を持ってあげたり、女子2人からは、
「大丈夫?」
「休憩しようか?」
と気遣ってもらいながら、山頂を目指した。
予定よりも少し早いam9:45に到着し、お菓子を食べたり写真を撮ったり、周囲を散策したりして時間をつぶした。せっかくの自由時間なのだから、ギリギリまでのんびりしようということで、みんで寝っ転がって晴れ渡った青空を眺めていると、いつしか5人はスヤスヤと眠り込んでしまった。
どのくらい時間が経ったのだろう。最初に目を覚ましたのは星だった。
“えっ?”
まわりを見回すと、4人は気持ちよさそうに爆睡していた。星が慌てて時間を確認すると、am11:30。
am11:00にはここを出発する予定だったので、30分も遅れている。急いで他の4人を起こすと、みんなも「ワァー!」と悲鳴をあげて飛び起きた。リュックに荷物を押し込み、大慌てで下山を始めた。
出発前に慶に提出したタイムスケジュールには、かなり余裕のある予定が書かれていた。12:00には絶対に着いているはずなので、間に合わない時点で問題が発生したと判断されてしまうだろう。みんなでスヤスヤとお昼寝していた・・・そんなハプニングが起こるなんて、慶をはじめ、下で待っている人たちは考えもしないだろう。
本来なら1時間かかるところを30分に縮めるのは不可能だったが、
「早く!早く!」
と全員が躍起になっていた。会話もなくなり、不安と焦りからイライラ感が次第に高まった。
琴羽は一番うしろにいた。ハアハアと息を切らして必死に着いて行こうとしたが、少しずつ遅れていった。登ったときとは違い、誰1人気にかけてくれることはなく、その差は徐々に広がった。気持ちが焦って何回もつまずいているうちに、どうやら足首を捻ってしまったようだ。
しかし、そんなことを他のメンバーには言えなかった。というよりも、前方にだんだんと小さくなっていく姿には、もう琴羽の声は届かなかった。足首は次第にズキズキとした強い痛みに変わり、歩を進めることができなくなった。
当初の予定では途中で2~3回休憩をとることになっていたが、先頭を歩く星はそんなことすっかり忘れていたし、続く3人も「別に構わない」といった風に星のあとを追いかけた。誰もうしろを振り向くことなく、目的地に一刻も早くたどり着くことで頭の中がいっぱいだった。
12:00少し前から、慶は外に出てみんなの帰りを待っていた。他のグループは次々と戻って来ているというのに、最後に残されたC班はなかなか姿を現わさず心配でオロオロしていた。5分、10分と経過し、これ以上時間がかかるようなら、本部へ連絡しなければならない状況だった。
そんなとき、やっと星が少し早足で戻って来たのを見て、慶はホッと胸をなでおろした。星たちは1時間の行程を何とか45分で下山して、宿に到着したのはpm12:15だった。
ところが・・・
到着したのは4人だけだった。
「琴羽は?」
慶が尋ねると、4人はそのとき初めて琴羽がいないことに気がついた。
「えっ?何で?」
青ざめて首をかしげるメンバーに、
「どういうことだっ?」
と慶は怒鳴りつけるように問い詰めたが、誰も何も答えようとしなかった。
「探してくるから、おまえたちは昼ごはんの用意をしとけ。話はあとでじっくり聞かせてもらうからな。」
慶はそう言いつけると、走って山道を登って行った。
遼太郎「ヤバイよな?」
秋歩「琴羽、大丈夫かな?」
美鈴「いないの全然気づかなかった。」
星「僕がどんどん下りて来ちゃったから・・・。」
それぞれが胸に痛いものを感じた。
琴羽が今どこにいるのか?どんな状況なのか?心配でたまらなくなった。平気で置いてきたくせに・・・。
慶と一緒に探しに戻りたい気持ちを抑えて、宿に入ろうとすると、
「僕やっぱり心配だから見てくる。」
と言って星が駆け出すのを見て、
「オレも。」
と遼太郎があとに続いた。
「あいつらバカだよね。そんなことしたら、余計に怒られるじゃん。でも・・・気になるよね?」
美鈴が言うと、
「私たちも行こう!」
と秋歩に言われて、2人とも下りて来た道を再び登って行った。
つづく