過去の記事を少しだけリライトしました
311から、もう13年・・・・
復興の陰で、まだ多くの人が震災と原発事故による苦境から脱していないことを忘れないでほしい・・
復興支援で宮城へ
被災地を、映像で見るのと現実に見るのでは、どう言葉で表していいのかわからない・・・
そんな悲惨な光景でした・・
命を守るために… 311震災の記憶を風化させてはいけない
思い出したくない人もいますよね。
この時期になると、テレビでの311特集・・
震災のことを思い出さずに生きられるようしようと思ってる被災者いるなか
報道で、忘れたいあの悲惨な状況が・・思い出す・・怒りさえ・・
でも、311=風化はあってはならない!
ここからは、宮城県への復興支援に行った時の記事になります
2011年3月11日14時26分
決してわすれることのできない・・
2万2千人以上が犠牲になった東日本大震災から、本日11日で13年になります。。
被災された方々とそのご家族の皆様に改めて心よりお悔やみとお見舞い申し上げます。
千葉でも被災者でました。亡くなった方も。。
当時、自分は千葉は茨城寄りの旭市の海寄りの新築現場で給湯器取り付けの工事してました。あれ、なんか地鳴りみたいな?と、犬が吠え始め、鳥が林から飛び立った瞬間、大きな揺れ!電柱も家もすごい勢いで揺れてた。停めてた工事車も。ブロック積んでた左官屋さんは、皆でブロック倒れないようにおさえてた。今まで経験した事無い大きな揺れに動揺を隠せなかった。とうとう、関東大震災きたんだと思った。
そうしてるうちに、当時の社長から、津波来るから海の近くから離れてと連絡がきた。何言ってるんだか?と思ったのが本音だったんですが、指示に従い、工事辞めて帰路につこうと千葉市向け車走らせました、信号ついてないし至る所で渋滞発生して、コンビニは車で一杯(後で思ったんですが皆買いだめしてたんですね)
震災から二か月後の五月に、仮設住宅のガス給湯器取り付け工事の要請あり。工事車で宮城県へ。その時に車内から携帯で撮った悲惨な現状です
少し間をあけますから、見たくない人は、そっと移動してくださいね。。
翌年の2012年8月
から3カ月
単機能給湯器から
追い焚き付給湯器
取り換えで仮設住宅へ
仮設住宅集会所
海外からの寄せ書き応援旗
太陽へ大きく希望向けてた向日葵
震災から13年が経ち被災地も大分復興されてきましたが
まだまだ傷痕が残る地域もあると聞きます。
東日本大震災で被災した全ての魂が、穏やかになることを願ってやみません。
2024年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震でお亡くなりになられた方々のご冥福を謹んでお祈りするとともに、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
また被災地での救助活動・復旧作業に従事されている方に深く敬意を表します。皆様がいつもの生活に戻られますよう、一日も早い復興をお祈り申し上げます。