「君は薔薇より美しい」という台詞がロマンティックかつサマになるのは宝塚ならではですね。
『キャバレー』や『アイリーン』、『ワンダフル・タウン』『Oh, Kay!』『マック&メイベル』などのミュージカルナンバーやスタンダードナンバーを多用した替え歌ミュージカルだった1幕物『華麗なるギャツビー』(1991年)が、ミュージカルナンバーをオリジナルに差し替えて『グレート・ギャツビー』として2幕物として日生劇場で上演(2008年)。小池作品の初期のものを再演する際、必ずこの問題が発生しますね。21世紀になって宝塚歌劇における著作権の意識が大きく変わったことが見て取れます。ホント、20世紀は盗作(と言って良いのか?)が多かったんです。今回は日生劇場版を本公演用にさらに大がかりに華やかにリメイクして再登場です。時代の変化か、多くの曲がハイテンポに編曲されていて、このあたり、振り数が多くなってきたダンスと同じですね。とにかく、歌もダンスも情報量の多いのが最近の作品の傾向。よって、芝居部分の幕切れも、音が消え入るようにギャツビーが滅びていく初演版に対し、華やかにゴージャスにギャツビーの愛が昇華する再演版と受ける印象も異なりますが、時代や観客に合わせて自由に作り変えができるのが再演作品の強みです。その一方、スローナンバーが非常に印象的かつ、生徒たちが戸惑っているのが伝わってきます。
禁酒法を逆手に取り、ギャング達が違法酒場を経営して勢力を拡大した時代。警察も賄賂を受け取っていて、がさ入れ時は前もって情報を流していました。男は男らしく、女は女らしい時代で、美術はアールデコ(今回はパレードでの大羽根はまさにアールデコ!)、男性はアイビー、女性はフラッパーでこのあたりはタカラジェンヌが得意とする時代と着こなし。現在の月組は芝居を得意とするスターが揃っていること、そして、歌唱面で不安がない座組というのもミュージカルを上演するには売ってつけ。そして、上演時間が長くなった分、ジークフェルト・フォーリーズの場面も加わって華やか。華やかだけど安っぽい装置は、劇中で「成金趣味」とバッサリ斬り落としてしまうのもさすがの脚本。ツッコミを許しません。
月城かなとのギャツビーは退廃色や男の挫折よりも、現実離れしたエレガンスでギャングらしさは薄かったけれど、宝塚ミュージカルにはピッタリな主演ぶり。海乃 美月のデイジーは演技力抜群で、デイジーの天真爛漫なようで残酷な面をクッキリ描き出していて「キレイであれば良し」なことが多い宝塚ヒロインの枠を超えた役になっていました。トップコンビが入れ替わるだけで組の印象がガラリと変わるのが宝塚の七不思議。
トムとニックは座組に合わせて配役を入替え、二番手の鳳月 杏がトム、三番手の風間 柚乃がニック。鳳月 杏ってチラシだと一樹千尋のような、舞台だとちあきしんに見えました、私には。そして、風間 柚乃は芝居の方向性や声の飛び具合がどことなく月城かなと系。ギャッビーの父親&運転手の英真 なおきに覇気がないのが気になったけれど、確かしばらく病気で休演されてましたよね。全快をお待ちしてます。ギャングのドン=ウルフシェイムはやはり若手スターよりも専科生が演じた方がしっくりくる役で、輝月 ゆうまがベテラン味を前面に出していて、おじ様役だけどギラギラ感もあって代表作に。ガソリンスタンドの店主=ウィルソンの光月るうもいぶし銀の輝きで、ギャングとも、アメリカの貴族(!)とも違う世界観。中年役がちゃんと中年役として見えるか、身分クラスがそれぞれのクラスの見えるかどうかがこの作品って重要! ベテラン勢がしっかり支えてくれていたのが今回の成功のキモ。「男役10年のその先」のキャリアが見て取れました。若手男役はまだ女の子に見えちゃう子が多かったけれど未完成な部分も宝塚を観る楽しさ。
プロゴルファーのジョーダンの彩 みちる、この物語のキーパーソン=マートルの天紫 珠李、デイジー&デイジーの娘の乳母=ヒルダの夏月 都、デイジー母の白雪 さち花、デイジー妹=ジュディのきよら 羽龍など、娘役に見せ場が多いのもこの作品の魅力ですが、いずれもアヤメかカキツバタ、とっても魅力的に造詣されていました。再演モノだとついつい「初演の時は…」と比べてしまいがちですが、それぞれが自分の役として作り上げていたので、比べるという次元でなかったのが素敵。