このブログによく出てくる娘同士が同じクラスで親友の死別シンパパと子連れで遊園地に行ってきました。
彼とは月1~2回一緒に遊びに行っています。
昨年秋にお互いの妻を亡くしているので僕たちは似た者同士です。
だから僕が恋活に使っていたアプリをすすめた。そして一カ月前から使っていたみたい。
なので、今日はその進捗を教えてもらおうと思って、娘たちがジェットコースターに並んでいる間に聞いてみたら、
彼から、「彼女ができました」と報告をもらいました。そうだろうねって感じだったけど。
女性の方から積極的にアプローチを受けて、最後は何人かで悩んで、告白したそう。活動期間1カ月。全部僕と同じ。まぁスペック(この言い方良くないけど)同じくらいだから、そうなるのかな。
というわけで、彼も僕も死別して半年と少しで彼女ができました。なんだろう、罪悪感が和らぎました。
彼はアプリを奨めた僕に感謝してくれた。僕も「その報告を聞けて嬉しい」と彼に伝えた。
嬉しい。僕も彼も、死別したのにも関わらず、女性から、男として恋愛対象として見てもらえたことが。
壮絶な闘病生活を経験して、睡眠薬を飲み、妻の死に向かい、喪主となり、棺桶の妻に涙し、手紙を書き、火葬場に行き、骨を拾い上げた。こんな辛い経験をしても、僕たちは妻以外の女性と付き合う道を選んだ。
人は最期の時に、自分に正直に生きなかったことを後悔するそう。
そういう意味では、僕たちは、早々に恋活をしたことを後悔しないと思う。もし恋活をしていなければ後悔する可能性が高い。
「行動しないリスクを過小評価してはいけない」
今日は、彼とたくさんの恋バナをしたけれども「男女ともに前向きな人に惹かれますね」というところにお互いに激しく共感した。お互い最高の笑顔が出たと思う。
言い方を変えると、僕たちは死別を経験して、後ろ向きな女性と付き合うほどの前向きな気力、もう残っていない。
「死別者は死別者らしく周囲から同情をされるような人生を歩むべし」と、言い続ける自分の中にいる世間体、自分の中の自分、その世間体を両親・義両親に重ねて敵視しつつも、結局のところ、それは「自分自身」。その「自分自身」と戦うために、前向きにならざるを得ないから。
なぜ戦うのか??
周囲に同情されるような人生なんてクソだ、周囲にどう思われようとも、自分に「正直」に生きたい、と思っているから。
なんなら、死別後半年で付き合いやがってあの野郎一体何なんだ!!(←これを言ってるも自分の中の世間体)って思われるくらいでいい。
僕にとって人生は思い出作り。その近道はパートナーをつくること。
言語化してスッキリ~。
ちなみに遊園地に行って全く遊具に乗らなかったのは人生初でした(笑)