(過去記事1)で,

言語は文法・語彙だけで成立するものでは無く,

神話・コンテンツ

が必須だと書いた.

 

 今回は教育について.

 

 教育について必要なモノは何か?

 

 教育では,教えるための「情報・知識」という教材だけありば成立するか?

 

 それだけでは成立しない.

 

 目指すべき「ロールモデル」が重要となる.

 

 例えば,体育.水泳でも良い.水泳を振興しようとしたとき,

どうやったら泳げるようになるかの水泳技術教材があれば成立するか?

それを伝える教師がいれば成立するか?

 

 それだけでは成立しない.

 

 決められた距離を泳ぐ最短【時間】でもよいし,シンクロナイズドスイミングのような【美しさ】でもよい.

 何らかの基準で序列を作り,【讃えるべき人物】を祭り上げることが必要だ.

 

 各地で大会を開催し,勝ち抜いた少数の選手を讃える.

 

 オリンピックで選手にメダルを授与し,メディアで報じる.

 

 そのことで,全国の少年少女たちに目指す目標を設定し,水泳を振興する.

 

 ゼロコンマ1秒速く泳げることの実用上の意味は問わない.

 ごく一部の憧れの対象を設定することで,大衆をその分野に集めることが,その分野でビジネス展開する長老たちにとっては重要になる.

 

 

 学業でも同じである.

 

 大衆を学校に引き留めて,文科省が狙いとする教材に価値を感じてもらうために,

基準をどうするかは二の次だ.なんらかの試験を採用して,生徒の間に序列を作る.

 

そしてそのトップ1%を【憧れの人物像】として,メディアや教育産業が祭り上げる.

 

 そのことで【学校教育】が成り立つのだ.

 

 主要5科目(英数国理社)が他の副科目より熱心に取り組まれるのは受験で採用されているからだ.

 

 ごく一部の鉛筆芸人(ペーパー試験アスリート)が讃えられ,上級学校で集められることで可視化され,

官僚組織,特に文科省や予算を握る財務省に多数就職することになれば,

行政組織の既得権益者らが彼ら独自の価値観・文化を形成し,それを継承する者を後継者とする.

 それによって既得権益者らの価値が神格化されていくわけだ.

 

 受験で序列を作り,一部を賞賛して奉ることで,大衆を学校文化に食い止め,鉛筆芸人出身の既得権益者らが支配する構造ができあがる.

 

 既得権益者らは自分の価値観・文化を継承するものを若者から選び後継者とする.

 若者たちは既得権益者らでなるべく有力者にコネをつくることで同年代の競争に打ち勝ち,次世代の支配層となっていく.

 

 

 ただし,これは国内限定の閉鎖社会だけで成立する.

 

 鉛筆芸は江戸時代後期の弓矢とりのようなものか.既にAIや鉄砲など,より実用的な手段が開発されているのに,旧来の伝統的カースト形成基準が踏襲され,社会の活力は失われ,国際的な立場が低くなっていく.

 

 言われれば当たり前の事なのだが,言われるまで分からないよね.

 

 (過去記事2)で荻生徂徠の例を出した.

江戸時代、知識人の教養は漢文、漢語だった。みんな漢詩を鑑賞し制作した。でも漢文の勉強は日本人の師匠について、レ点返り点を使う漢文訓読で習っていた。

 江戸時代にはオランダ語を訓読していたし、明治初期でも英語を訓読してた。レ点とか使って。

 で、みんな師匠について漢文を訓読法で習っていたのだが、1679年、13才頃の荻生徂徠は父が(気難しかった)徳川綱吉を怒らせて江戸追放となり千葉の田舎で暮らすことになった。徂徠は師匠もなく独学で漢文を勉強した。田舎で師匠がいなかったことが幸いした。漢文を訓読法で日本語に翻訳して学ぶのではなく、中国語として学んだのだ。

 この視点で勉強した為、江戸に復帰してから徂徠は他の学者が陥っていた間違いを訂正し、名を挙げた。徳川綱吉や柳沢吉保にも仕えることが出来た。

 中国語として同時代の他の文献も深く読み、習俗も学ぶ事で漢詩を正確に理解した。

 私が覚えているのだと、紀元前6-5世紀の孔子の言及録である論語の中に

 体に傷つけないのが親孝行のはじまり

という文があって、同時代の漢学者は文字通りの意味で、体に傷をつけることは親に申し訳ないとか解釈していた。二世紀の中国人がそういう注釈をつけていたからだ。

荻生徂徠はこの注は誤りという。これは犯罪を犯すな、という意味だと発見した。刑務官が犯罪者に刺青などをして体に傷つけていたことを意味する。

 こんなのは、その文章だけをいくらにらんでいてもわからない。同時代の文化も知らないとわからない。

 

 今から300年前,江戸時代では若者は各地の有力な日本人漢学者の塾に通って,塾内で競っていた.当時の決まった教材から出題するテストで競っていたようなものだ.ところが荻生徂徠は,既存の塾の枠を飛び越えて,古典中国語の書物を外国語としての独自視点で独学をしたわけだ.

 だから当時の日本人のだれよりも論語など古典の本質を深く理解し,世間に出れたのである.

 

 

 教育と離れるけど,よくありがちなのが,

 職場で,平均賃金を下げるとうっぷんがたまるので,それと同時に1%トップの最優秀社員だけ高給取りにすること.

トータル人件費を制限できる.

 多くの社員は自分より下でなく上を見てるから,そこを目指せばよい,という雰囲気で煽る.

 

 芸能界,スポーツ界,学界,文芸界なんかは特にこの傾向が強いね. 

 99%の屍が残る.

 

 まあ1%を目指して野垂れ死にする人がいてもそれは当人の意志決定の結果で会って自己責任かもしれないが,親や教師が子供にそれを煽ってはいけないな,とは思う.

 

 

(過去記事1)

 

 

(過去記事2)