鎌倉金沢街道を歩く =明王院= | jinjinのブログ

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鎌倉金沢街道を歩く =明王院=

 

鎌倉金沢街道は古い街道で、奈良時代、藤原鎌足がこの地に逗留したという伝承があり、街道筋には「鎌倉」という地名の由来になったという「鎌足神社」や鎌倉最古の寺院「杉本寺」などがあります。

 

鎌倉幕府が開かれると多くの武士が集まるようになり、鎌倉の人口は急増しました。 

当時最も重要であった調味料の塩は六浦で精製され、その塩を鎌倉に運ぶための交通の要路だったのがこの金沢街道でした。

金沢街道、鎌倉市の東端は「十二所(じゅうにそう)」。 そこから少し南へ下ると「明王院」という古刹があります。 

「泉水橋」というバス停から徒歩5分。

 

 

飯盛山 明王院 =真言宗御室派=

 

 

明王院は1235年(嘉禎元年)、鎌倉幕府四代将軍 藤原頼経により建立されました。

鎌倉幕府の「源氏の将軍」は、三代実朝で途絶え、以降は北条氏が執権となり、四代将軍以降は京都から迎えられています。

鎌倉幕府将軍の発願によって建立されたという意味では、「明王院」は鎌倉市内に現存する唯一の寺院となりました。
頼朝も「鶴岡八幡宮(寺)」、「勝長寿院」、「永福寺」を建立していますが、現存するのは鶴岡八幡宮(神社)だけで、他は廃寺となっています。

 

 

 

明王院は何とも「藁ぶき屋根」が素敵な風情あるお寺です。 維持はその分大変なのだとか…

 

 

明王院は幕府の鬼門の方角にあたり、「鬼門除けの祈願所」として、五大明王をお祀りしています。
五大明王とは、不動明王(ふどうみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、 軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)からなる 五体の明王様の総称です。
国難を救いたい、どうしても叶えたい願い事がある…など特に強いご祈願をするときには、五大明王の前で護摩法要を修して祈願していたとのことで、鎌倉幕府最大の危機、「元寇」の時にも明王院で異国降伏の法要が修された記録が残っているとか。

現在、鎌倉で五大明王をおまつりしているのは明王院だけです。
ご本尊は「不動明王」。十一面観音菩薩も安置されており、鎌倉33観音霊場8番札所となっています。

 

 

●京都醍醐寺五大明王像

鎌倉明王院の五大明王は写真がありませんので、絵葉書ですが、京都醍醐寺の五代明王の舎h心を掲載してみました。

 

<不動明王>

 

<金剛夜叉>

 

<軍荼利明王>

 

<降三世明王>

 

<大威徳明王>

 

◈明王院は真言宗泉涌寺派の寺院です。 総本山は御寺と呼ばれる京都「泉涌寺」

東山三十六峯、月輪山の麓に佇む皇室の菩提所。故に「御寺」と呼ばれ、舎利殿には仏牙舎利を安置していることで知られています。

このお寺は天皇家とのご縁が深く、特に江戸時代には、15代に及ぶ天皇の葬儀が全てこのお寺で行われています。 

舎利殿が特別公開されたときに参拝したことがあり…思い出します。 ので写真貼ってみました。