目黒蓮が『Numéro TOKYO(ヌメロ・トウキョウ)』2024年5月号特装版表紙に登場。フェンディの2024年春夏 メンズコレクションを纏い、モードな撮影に挑戦。新しく、美しいアティチュードをみせてくれた。そして、今回Numero.jpでは彼とフェンディの出合いから、彼の人生を変えた出来事までを綴ったロングインタビューの一部を限定公開!






「この度、FENDIジャパンメンズブランドアンバサダーに就任いたしました! これからFENDIの世界を一人でも多くの皆さんにお伝えしていけたらいいなと思います」と自身のインスタグラムで綴った目黒蓮さんは、2月1日に日本人男性初のフェンディジャパンブランドアンバサダーに就任した。くしくも、彼が初めて買ったハイブランドの服はフェンディ。まるで何かの運命に導かれるかのように、彼とフェンディの物語は始まった。

「ミラノで開かれた2024-25年秋冬メンズショーは本当に楽しかったです。作り手やモデルにとって、コレクションは晴れ舞台。そこに至るまでに費やした時間や努力がたくさんあったと思うんです。そのとても重要な場面に、僕も一緒にいれたことがすごく嬉しかった。ブランドの歴史はフェンディ夫妻の2人から始まり、今や世界的なメゾンに。それは本当にすごいことだなと感じます。フェンディの歴史に僕も少し携わらせていただいたという……当たり前ではない、今の自分の環境に感謝しながらショーを観ていました」






フェンディのブティックをひとり密かにプライベートで訪れたエピソードを彼は笑顔で語った。

「この間、銀座店へ行ったんです。帽子をかぶっていたから、お店の方も僕だとわかっていなくて(笑)。食器を見たくてテーブルウェアのフロアへ行ったら、同じ階に毛皮もあって。フェンディと言えば、ファーですよね。『いいな!』と思う素晴らしいファーがたくさんあったんです。ショップの方と話をしていたら、金額を教えてくださり。値段を聞いた瞬間、思わず一歩、後ずさりしてしまいました(笑)。実際にローマの工房にも行かせていただいたので、素晴らしいクラフツマンシップによるその価値をよく理解しています。だからもちろん、納得できるプライスではあるのですが、今の自分には……まだまだだなって(笑)。ファッションは、感情と密につながっていますよね。自分の好きなもの、本当に着たいものを纏っていると、やっぱり心がわくわくします」

デビューを知った日。シャワーを浴びながらボロボロ泣いた



2019年にSnow Manのメンバーに選ばれ、彼の人生は大きく動き出した。

「Snow Manのデビュー決定を聞いた日のことは、今でもよく覚えています。デビューを目標にして頑張っていたのですが、いざ言われてみると、その実感が湧いてこなかった。家に帰ってシャワーを浴びていたときに、今までのジュニア時代の自分自身の姿がバーッと駆け巡って。頭を洗いながら、一人でボロボロ泣きました。いろんなことがあったなって」

目黒蓮の人生を変えた 場ミリとテクノカットと夢ノート




ジュニアの時代、セルフアイデンティティを確立するために、トレードマークのテクノカットに自分で髪を切っていたというエピソードはよく知られている。


「変わるきっかけを、僕にくれた友達がいたんです。『なんでモデルの仕事をしないの?』と、アドバイスもくれました。その時の自分には、モデルをしたいという考えすらなくて(笑)。当時は、目の前のことをとにかく一生懸命にやるだけ……自分で言うのも変ですが、すごく真面目な性格で(笑)。“場ミリ”ってあるじゃないですか。先輩のバックに付いて、ステージの場ミリまで椅子を持って行かなければならないとき、僕は1ミリも狂いがないように椅子を置くことだけを考えていた。たぶん、前で輝いている先輩たちは、椅子をそこへ移動させるまでにファンの心をつかむ何かだったり、自分がそこにいる意味みたいなものを残していたと思うのですが、僕は『場ミリと一致するように、椅子を持っていくこと』しか考えていなかった」

「そういう僕を変えてくれたのが、その友達でした。モデルの仕事につながるように、“目黒蓮が変わった証拠”をファンに伝えるには何をすればいいかを一緒に考えていたら、『髪型を変えちゃえばいいんじゃない!?』となって。そのままコンビニに行って、ワックスを買って。友人が手のひらでワックスを温めながら、ガッと僕の前髪を上げて。そしたら『それ、いいじゃん! 前髪アップにしなよ』って。僕は、“前髪を上げない人生”だと考えていたから、『本当に大丈夫か!?』みたいな感じでした(笑)。とにかく、自分に自信がなかったんです。そのときからです、僕の心が少しずつ変わっていったのは。その頃から夢ノートも書き始めて。『2年で何も成果がなければ辞める』とタイムリミットを決めた。そして、その2年間で何を達成すべきかをノートに書き出したんです。2018年に夢ノートを書き始めて、その2年後にはそこに書いた夢を全部叶えて、デビューしたんです」