いつもお読みくださる皆さまへ | 世界は美しい
こんにちは!
いつもお越し頂き有難うございます。

いいねやコメントを残してくださり
読んだよと教えてくださる方。

毎回とはいきませんが
可能な限りブログにお邪魔して
ひとつひとつ拝読したい気持ちでいます。



直接お会いすることはできなくても
画面の向こうにどんな方がいて
日々何を想っているのか。

お仕事のブログを書かれている方も
もちろんいらっしゃいますが
そういう方にも必ず
お仕事以外の顔があります。

それを想像してみたり。



いろいろな方の文章を読むと
それぞれのお人柄が垣間見れる気がします。

淡々と書いてあるようでも

言葉のチョイスや
顔文字、絵文字の使い方
全体のトーン
ブログのデザインなど

細部にこそ
その人らしさがあらわれます。


---

拝読していると
つい笑っちゃったり
なんだかほっこりしたり
私も頑張ろう!と背筋が伸びたり

壁に直面し、もがきながらも
進もうとしてる姿に勇気をもらったり。

ブログには書かなくても
いろいろなことで迷ったり
悩んだりしている人もきっといるはずです。



それぞれの立場や状況は違えど
またどんなことがあっても
誰もが日々、一生懸命
生きているんだなと感じます。

ときには投げやりになったり
生きるだけで精一杯のときも
あるでしょう。



私は他の人と比べてしまうと
たぶん順風満帆に生きてきましたが

それでも、無力感を感じたり
失敗してへこんだり
至らない部分や未熟さは
日々たくさん感じます。

波乱万丈な人生の方からみたら
甘っちょろいのかもしれませんが

それでもそれぞれの目の前に現れた
「自分の課題」を1つひとつ
クリアしていくことが必要なのだと
強く思います。



職業に貴賤はなく
使命に優劣もありません。

自分の持ち場で
目の前の課題に全力を注ぐことが
自分自身の魂を成長させることに
繋がります。


---

以前、「死」について考えましたが
いま命があって、生きているということは
生きなければならない理由があるからだと
私は思います。

可能性としては今日死んでも
全然おかしくないのに
まだ生きている。

それは命ある肉体で
果たすべきお役目が残っているから。

まだやりなさい、生きなさいと
いうことなんだろうなと思っています。



死を迎えたということは
いまの自分としての意識と肉体での
果たすべきお役目が終わって
お疲れ様ということなのかなと。

あるいは、ここで亡くなることで
残った人になにかお役目を繋げる
ことなのかもしれません。

あくまで個人的な考え方ですが。。。



だから、生きているというより
生かされているという感覚でいます。

生きている意味がわからなくても
大変なことが起きたとしても

それは自分が経験し、味わい
乗り越えるべき課題だったから
起きているのだと思っています。




何度も同じようなパターンの
出来事が起きることがありますよね。

それがお役目にそった
乗り越えなければならないことだから
何度も起きているはずです。

人との別れの辛さは
あたたかさを学ぶために。

自分のできることの偏りは
助けてもらったり
協力してもらったりすることの
素晴らしさと有り難さを知るために。



日本古来の八百万の神の精神を
意識しています。

わたしも神
あなたも神
みーんな神

それぞれの良さを組み合わせて
それぞれの持ち場で輝けば
全体はきっともっとよくなっていく。


だから
私は自分のやるべきことを
全力でやります。

苦手なことはバトンタッチ。
わからないことは教えてください。
力を貸してください。



そう考えると
私は生きやすくなりますし
とても力がわきます。

そんな気持ちで
いろいろな趣味、お仕事、考えをもつ
みなさんのブログを拝読しています。

全てにコメントまでは残せませんが
これからもどうぞよろしくお願いします。



有難うございました!