ファン・クラブ会員に配られたA4サイズの選手名鑑と球団記録の非売品の冊子。大人の一般会員、特別会員にのみ配布されたもの。横浜大洋ホエールズとして2年目、ようやく表紙がマリン・ブルーのヘルメット、キャップに統一された。確か前年78年のイシューも持っていたはずだが、見当たらないので2年目の79年版からスタート。
とても全部の中身は紹介できないので、気になるページに俺がつっこみをいれるかたちにする。
当時のニッポン放送は今ほど巨人べったりではなく、けっこう大洋、ヤクルトの試合を中継していた。
マリン君はさまざまなところに現れる。横浜市民なら間違いなく皆知っている「行くぞ大洋」がスタジアムでかかるとき、自慢の電光掲示板ではアニメーションが流れた。マリン君は空だって飛んでいた。
これぞ夢の内野陣!俺はいまだに草野球とかバッティング・センターで打席に立つときは、‘2番セカンド、ミヤーン’と自分でアナウンスをしてからあの独特の打撃フォームで初球を迎えることにしている。
以前紹介したここでちょっと触れたビクトロンのおねいさんたちの対談。杉原さん、釜田さんの2人が好きな選手として挙げたのが中塚。目の前の外野手じゃねーか。
大洋の選手が広告に使われるなんて、この冊子の中だけだったんじゃないか?高橋重行はお前はコンニャクか!、と言いたくなるような投法で、我々はふざけてよく真似たものだ。
ビクトロン・プレーヤー、杉原美紀さんがニッコリ微笑む。ヨコタカ6Fにこんな噴水があったとは。
当時はプロ野球界ではマイナーだったんじゃないのか、玉澤は?平松が使っていたならそれだけで超一流であるのは間違いない。
W旗は何本も持っていたが、マリン君旗は変な薄い緑色で持っている人は少なかった。今となってはレアだろう。欲しいぞ( ゚д゚)。
‘はりきる解説者’の森中千香良(大洋で36勝)と鈴木隆(75勝)の黄金コンビは神奈川県ではおなじみ。とくに鈴木さんの大の大洋びいきの解説はいつ聴いても耳に心地よかった。TVKはがんがん放送時間を延長してくれるからよかった。
高木嘉一か長崎慶一か判断の難しいところ。
サブちゃんは毎年笑顔を見せてくれるんだ。くどいから最初のこの1冊だけ紹介。
いろいろ欲しがった俺だったが、パジャマには手を出さなかった。
子供は\2000、大人は\4000を払うと内野自由席4回、外野2回のチケットがもらえた。巨人戦以外のカードの日程が決められていて、A~Jの日程から事前に選ぶ方式だった。雨天中止の場合の振り替え日程が確かチケットに印刷されていたと思う。毎年ヨコタカで入会手続きをしていた。
そのチケットというのが、縦4横7cmくらいの、年度によって異なるオレンジとか青とかの厚紙がホッチキスで留められたものだった。半券使用済みの小さくなったその束をいくつか持っていたのだけれど、現在見当たらないのは痛恨の極み。゚(T^T)゚。。
俺は靴、靴下、パンツ、ズボン、シャツ、帽子、と身ぐるみすべて大洋で登校したりしてたぞ。ここにある商品では長袖Tシャツだけ持っていなかったかな。あ、でも背番号が入っていたやつを着た記憶は無いなあ。
裏表紙はもちろんマルハの缶詰の広告だ。