九州6日目。今日の宿は宮崎です。

 

 鹿児島のユースホステルを出て、薩摩半島を南下。

その途中で撮った桜島の写真。

 

そして向かったのは知覧です。第二次大戦の終戦間際に、特攻隊として多くの若者たちが飛び立って行った飛行場の跡地に作られた知覧特攻平和会館へ行きたかったのです。

 

 

 

 

 数年前に映画にもなった『永遠の0(ゼロ)』そう、この旅行記をご覧いただいている方にはお馴染みの(笑)僕の大好きな岡田准一君主演の映画でしたね。その岡田演じる主人公が最後に飛び立ったのが、この知覧飛行場でした。その飛行場から沖縄に向かって飛び立つ際に、薩摩半島の先端にある、日本人の心の象徴とも呼ばれる富士山によく似た、薩摩富士と呼ばれる開聞岳の横を通って行ったそうです。

 

 この史料館には、特攻へ向かう若者達が残した手紙が数多く展示されておりました。飛び立った若者の多くは10代だったそうで、その方たちの残した手紙の多くはご両親、特にお母さんに向けての物でした。

 

 『僕のこの命で日本国民を救えるならば本望です。』『あなたの息子は皇国の盾となるのです』 確か、こんな内容の手紙ばかりでした。

 

 『特攻なんて行きたくない』『まだ、死にたくない』 本音を言えば、当然そうなのでしょう。まだ10代の若者です。母親に甘えたい年ごろでしょう。ですが、そんなことを手紙に書いたら、受け取ったお母さんはどんな気持ちになるでしょうか。自分たちより先に旅立ってしまう息子を、せめて少しでも誇りに思えるように、立派に死んでいったんだと思えるように、虚勢を張って書いた事でしょう。そう思って手紙の一文一文を読んでいると、涙が止まらなくなりました。置かれていた状況が違うとはいえ、僕が人生を謳歌していた10代後半と同い年の人達が、こうしてその命をかけて日本という国を守ろうとしていたんだなぁ。

 

 戦争を肯定する気はさらさらありませんが、そこに巻き込まれてしまった人達の想いは、ゼロにならないように永遠に語り継ぐべきものだと思いました。

 

 涙で身体の水分が少なくなってしまったので、鹿児島の天文館に戻り鹿児島ラーメンと、かき氷を。

九州で食べたラーメンの中で一番、この鹿児島ラーメンが美味しかったなぁ。

 

 

しろくま、という名前のかき氷で有名な、天文館むじゃきといお店。

 

し、しろくま、です。どこからどうみても・・・

 

その後、2時間程高速道路をひた走り、宮崎県へ。

 

 接骨院を辞める直前に、仲良くさせて頂いていた患者さんに、九州旅行に行ってくるんですよー、という話をしたら、知り合いが宮崎県に住んでるから、良かったら泊まりに行ってね。私の知り合いが宮崎来るなら泊めてあげるよって言われてるしー。みたいな話がありました。見ず知らずの人の家に泊まるなって図々しいなぁ・・・と佐賀県辺りまでは思っていたのですが、なんせその頃は誰かとしゃべりたくてしょうがない頃でしたので、イカのお店が開店するのを待ってる間にその方に連絡をして、宮崎に行った時に泊めてもらえないかとお願いしてありました。先方さんは快く承諾していただき、この日その方の家に泊まることになったんです(笑)

 

 50代後半のその男性は、その昔名古屋に住んでいた方で、現在は故郷の宮崎に戻っておられました。知り合いの知り合いという、言わば全くの他人である僕を温かく迎えてくれて、夜は宮崎地鶏の美味しいお店に連れて行ってくれました。事前にお金は要らないからねと言われていたので、身体で返してきました。えぇ、2時間ぐらい治療させてもらいました。手に職があるって、すんばらしいね。

 

つづく。