Gran Viaのピソ(アパート)~空のない家~ | ¡Viva ワイン!

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ワインを飲みながら、気になったことを書いていきたいと思います。

離婚法の補足です。


スペイン、サラマンカに在住のKaoriさん からの情報によると、離婚法が成立したのは1981年とのことです。


それまで、離婚できなかったんですね~ドクロ


それでは、昨日の続きです。


いやぁ、書きだすと止まらないっすね、このテーマ(笑)。早くも6回目になりました。


ホームステイを除いて最初に借りてたアパートは、5つ星のホテル・リッツの斜め向いにあって…今もあるのかな~ホテル・リッツ。フロントまでは何回も入ったことあったけど、貧乏だったからお茶すらしたことがなかった憧れのホテルでした。


夜遅くなってタクシーで帰る時は「ホテル・リッツの前まで」って運転手さんに言って乗っていました。


「ホテル・リッツまで」じゃないからね~運転手さんによっては、近くなるとどの辺で止める?と聞いてくれる人もいたけれど(金持ちそうな身なりではない為か)、そのままホテルのまん前に横付けしてくれて、ホテルのドアマンにドアを開けて貰ったこともあったっけ…、今になっては良い思い出です。


そうそう、アパートの話でした。


観光案内所のおっちゃんに紹介されたのは不動産屋ではなく、ズバリ、アパートだったので、仲介手数料や保証金なども必要なく、その日から入れるというので、即決しちゃった私です。


もー、あのセニョーラ生活が1週間近くになり、気分的に切れそうだったこともあったのですが、街のど真ん中で、リビングと寝室の2部屋、家具付きで50000ペセタ(=40000円)というのも魅力でした。


不動産屋で見た物件はもっと広い部屋だったけれど、値段も高かったのです。


後で気づいたのですが、このアパート、イベリア航空のキャビン・アテンダント(当時はスチュワーデスと呼ばれていましたね)さんも泊まる場所だったらしく(会社で借りていたのかも)、毎日のように制服のままキャリーを引いた彼女たちとエレベーターの中で会ったりしました。


食器も家具も揃っていて、まあ満足だったのですが、TVがありませんでした。電話はあったけれど、管理人室にかけてつないでもらう、又、電話を受ける時も管理人室につながるので、管理人さん(観光案内所のおっちゃんに紹介されたペドロです)に私の部屋の番号(24号室)と言ってつないでもらわないといけません。おかげで、日本にいる友人達が最初に覚えたスペイン語はveinticuatro(ベインティクアトロ=24)でした。


管理人がいない時(夜8:00~朝9:00は不在)や、土日は電話が通じないという不便さもありましたけれど、日常に生活するにはさほど不便には感じなかったです。


でも、このアパート、窓が1つしかなかったんですよ。それもパティオ(中庭)に面した窓が1つ。


昼でも電気をつけないと暗い。一年を通して生活した訳ではないので、冬の寒さは分かりませんでしたが、夏はひんやりして気持ち良かったです。


で、外に出る時、雨が心配かな?って思った時に、たった一つの窓から空を見上げる訳です。

小さいパティオでね~、窓から身を乗り出して空を見上げると△の形をした空しか見えないんですよ。よーし青空!と思って外に出てみると、結構雲が多かったり…私の小さな空から得ることができた情報量なんていうのはとってもちっぽけでしたから…。


TVや電話の不便さは感じなかった私も、空が見えない生活っていうのは何となく圧迫感があってねー、なるべく外に出かけるようにしていました。


7月、8月は皆さん結構長期のバケーション出かけてしまうので、バルセロナの人口も少なくなると聞いていたのですが、多少はスペイン語で会話も出来るようになった私、生意気にも旅に出ておりました。家は現地で仲良くなった友人に使って貰って、少しお家賃も助けて貰ったのかも…。


7月は、先日コメダでお茶した友人 がお母様と遊びにきてくれて、クソ暑い7月にアンダルシアへ(ごめんねー、あんなに暑いなんて知らなかったのよ)。バルセロナから出発するバスツアーで行ったのはいいけど、お母様があまりの暑さに途中リタイヤ。バスツアーを放棄して、友人と一緒に飛行機でスイスに飛んでしまったのです叫び


で、バルセロナに戻ってきた私は、彼女たち2人の荷物を持って、ドイツで落ち合う事に。


お母様が私にユーレイルパス(ヨーロッパの鉄道乗り放題のチケット)をプレゼントして下さいまして(日本で買って持ってきてくれた)計らずともドイツとフランスへ行くことになりました。


って、携帯電話もない時代、異国の地(私は初めてのドイツドイツ)で良く待ち合わせが出来たものだと…。


実はもう一人共通の友人がドイツから合流することになっていて、ドイツとオーストリアの国境の街、ミッテンバルトで待ち合わせしました。

この辺りの話は長くなるので、機会があれば…又。


8月は、別の友人が日本から来ていまして、レンタカーを借りてスペイン国内を回りました。行き先も決めず、行き当たりばったりで2時前に(スペインのランチタイムは2時頃から)辿り着いた街でホテルを探して、土地の料理を堪能しました。楽しかったですよ~。バルセロナからバレンシア、グラナダ、コルドバ、ラ・マンチャを経由してマドリーまで、約2週間ふらふらしてました。


マドリーの空港で、日本に帰る友人を見送ってから、私も飛行機に乗ってバルセロナに帰ってくると…


ペドロ(管理人さんの名前ですよ~)から、ここのアパートはバルセロナ・オリンピック(1992年開催)に向けてホテルになることになったので、早急に立ち退いて欲しいと言われてしまいました。


ガ~ン!


それから又、アパート探しが始まるのですが、その話は次回に。