どーも、子連れおーかみです。
「沖縄決戦」のレビューも17回を迎えてしまいました。
映画のレビューをする度、のめり込んで長編になってしまい、そんな時に限って仕事が厳しい状態だったり他の悩み事が集中したりして、ハードな状況になってしまいます。
しかし逆にそういう時だからこそ、癒し(現実逃避とも言いますが)を求めてレビューをしてしまうのかも知れません(笑)。
しかし、早くレビューを終わらせないと、どうにも気持ちが悪いし次に行けない!そしてゆっくり寝られない(笑)!!
だが、今回が本当に最終回になると思います。がんばります!
6月23日午前4時頃、第32軍司令官・牛島中将と参謀長・長中将は摩文仁の地下壕で自決しました。
これにより、実質的に沖縄戦は終わったわけですが、まだ沖縄の各地には孤立して戦闘を続ける部隊の他に、洞窟にこもる傷病兵や避難民、動員を解かれた少年や女子学生などが大勢残っていました。
司令部無き後は、各々の運命は各々の手に委ねられたのでした。
司令部壕とは別の壕である管理部壕にいた散髪屋と鉄血勤皇隊の生き残りは、駆け込んできた同僚の兵士から、牛島と長の自決を知らされます。
散髪屋:「閣下が!?」
散髪屋は慕っていた牛島の自決に大きな衝撃を受けましす。
しかし、鉄血勤皇隊は「死にたい奴は死ね!軍人は死ねば済む。しかし俺たちはそうは行かないぞ!」と立ち上がり、出撃する準備を始めます。
ふさぎ込む散髪屋に、彼を沖縄出身と知る鉄血勤皇隊の一人が準備をしながら語り掛けます。
鉄血勤皇隊員:「散髪屋さん、この島は俺たちの郷土でしょ?墳墓の土地だ。俺たち沖縄県民は最後まで戦わなきゃ。」
そして、司令官が死んだらおしまいだ、ここに居ようと泣き言を言う上等兵に、二等兵の鉄血勤皇隊員が「恥を知れ!」と蹴りを入れ、壕を飛び出して行きます。
ここから音楽のテンションが一気に上がり、学校毎の鉄血勤皇隊の突撃シーンとなります。
商業学校と工業学校の学生服に白脚絆姿が颯爽として素敵です!
音楽も良く勇壮で、この映画の中では非常に好きなシーンなのですが、果たして彼らは組織的な戦闘が終わった後も、本当にこんな風に個人の意思で突撃したのか?とちょっと疑問に思ってしまいます。
沖縄戦については、悲惨な話しか伝わって来ませんが、生命力に溢れて命知らずの若者達の中には、このように最後の突撃を敢行した者達もいたかも知れません。
しかし、それが事実ではなく演出だとすれば、制作側はどんな意図でこのシーンを入れたんでしょうか?そしてこのシーンを沖縄の人たちはどう感じたのでしょうか?
その辺の所はとても興味があるので、時間が有れば調べてみたいと思います。
一方、散髪屋のいる管理部壕も最後に火炎放射器の攻撃を受けてしまいます。しかし、「デテキナサイ」と降伏勧告しておいて、出てきた人間を射殺するのはひどい!沖縄戦ではこんな非道な事が日常茶飯事だったんでしょうか?
彼は炎から逃れる為に裏口から必死に這い出しますが、近くで爆発した砲弾の爆風で吹き飛ばされ、気絶してしまいます。
米軍は摩文仁だけでなく、各地で最後の掃討作戦を繰り広げます。
米軍が或る亀甲墓を銃撃したところ・・・
中から竹槍を構えて出てきたのは、よぼよぼの老人(演:藤原釜足)でした。
老人は、よろよろしながら米兵を突こうと竹槍を構えてあちこち走り回りますが、からかい半分によけまくられ、最後は倒れてしまいます。
この映画公開時(昭和46年、1971年)の藤原釜足は66歳。今の66歳は結構若々しく見えますが、当時の66歳はこんな感じの腰の曲がった立派な老人だったんでしょうね。
一方、八原は民間人に身をつやし摩文仁の地下壕から脱出します。しかし、こんなハイカラな洋装して戦場を歩いていたら、絶対に怪しまれると思います(笑)。
海岸を歩く途中で、血だまりに転がる老婆に足を掴まれ、「向こうの洞窟に父ちゃんが・・・」と言われ、その方向に向かって磯を歩いて行きます。
一方、管理部壕の裏口で気絶していた散髪屋は、米兵に小突かれて目を覚まします。
咄嗟にカバンから持っていた剃刀を出し自決しようとしますが、米兵に力づくで抑え込まれ、果たせませんでした。
しかし、彼は生き残ったのでした。
この散髪屋は実在の人で、この映画での役名は「比嘉」でしたが、実際に比嘉仁才という人で、戦後は那覇で理容室を開いていたそうです。正にこの映画の副題の「激動の昭和史」を地で行くような人生ですね。
八原は磯を歩き続け、ヘロヘロになりながら洞窟に到着しました。
洞窟の中には死んだ老婆の夫なのか老人(写真下左、演:三井弘次)が待ち受けていて、八原の姿を見た途端、正体を知ってか知らずか突っかかってきます。
老人:「おい、兵隊。その恰好はなんだ?おい、よく聞け!お前の戦友はな、みんな靖国の杜へ行ったんじゃぞ!何をおめおめ生きてるんじゃい!!」
老人に小突かれながらふと洞窟の入り口の上の方を見ると、銃を構えた米兵が何人か見えます。
それを見た八原は英語で「Don’t shoot !」と米兵に向かい叫びます。
そして、崖の上から洞窟へ向かって降りてくる米兵たちに向かって歩いて行ったのでした。
実際の八原も捕虜となり、生き残ります。そして戦後は自衛隊にも入隊せず、故郷の島根で農業や着物の行商などを生業にして細々と生活し、晩年は長男を頼り神奈川県の鎌倉市で余生を過ごしました。
戦後は世の中には出なかった彼ですが、唯一沖縄戦の手記(『沖縄決戦ー高級参謀の手記』)を執筆し、この手記がこの映画の原作的な存在となっています。
しかし生き残った彼に対する旧陸軍関係者の風当たりは強く、彼の葬式には陸軍関係者は士官学校時代の同期生が何人か出席しただけだったと言う事です。
私もこのブログを書くにあたり、『沖縄決戦ー高級参謀の手記』を購入して読んでみました(←中公文庫版の存在を教えて頂いたまなぶんさん、ありがとうございました!)が、文章は恐らくゴーストライターなど使わず自分で書いたのだと思われますが、文体や表現は大時代的ですがなかなか立派で、内容も理知的で真面目な人柄が伝わってくるようなものでした。
しかし、それだからと言って沖縄県民に多大な犠牲を強いた持久作戦と、それに伴う南部撤退作戦の実質的な立案者としての責任は免れ得ぬものであり、死をもってその責任を贖わなかった八原に対して感情的な批判が出るのもやむを得ないことだと私は思います。
前出の老人の「なにをおめおめ生きておるか!」と言うセリフは、製作者からの八原への批判を込めたものなのかも知れません。
とはいえ、彼は軍人として、作戦立案者として任務に最善を尽くしただけで、住民未疎開の責任までを彼一人に負わせるのはちょっと酷ではないかと思います。
沖縄戦の悲惨な結末は、当時の日本帝国及び日本軍の体質の結果であり、「降伏」という選択肢が無かった以上、誰が責任者でも似たような結果になったのではないかと思います。
八原の著書をご紹介しますので、ご興味がある方は読んでみてください。
一方、東宝の若大将と宝塚スター、もとい比嘉軍医と上原婦長一行は自決せず、海岸沿いに逃避行を続けていました。
しかし、不意に落下してきた砲弾で上原婦長が瀕死の重傷を負ってしまいます。
出血で朦朧とする婦長を比嘉軍医が抱き上げます。婦長は比嘉に向かって何か言おうとしましたが、比嘉の腕の中でそのまま息絶えます。
婦長の亡骸を抱きしめる比嘉。この二人付き合っていたんでしょうか?なんか、そんな雰囲気を感じさせます。だとしたら美男・美女のカップルですが、この決戦のさ中に何をやっておるのか、と思う私は野暮天なのでしょうか(笑)?
しかし抱き合った二人を砲弾が直撃し、二人とも粉々になってしまいました・・・。無残・・・。前に出てきた酒井和歌子と言い、美男・美女が受難する映画です(笑)。
一方、ある部隊の曹長(写真中央、演:地井武男)が一緒に自決させてほしいと言う女学生たちに囲まれていました。曹長を演ずる地井武男は当時29歳、若いですね(笑)。
曹長:「本当に死ねるか?」
女学生たち:「はい!」
曹長:「本当に?」
女学生たち:「はい!」
曹長:「本当に?」
女学生たち:「はい!」
曹長:「よし!それでは一緒に死のう。そばへ寄れ。」
女学生たちは曹長たち一行を囲んで車座になり身を寄せます。座の中心で手りゅう弾を爆発させ一緒に自決する算段です。
そして曹長の部下が手りゅう弾のピンを抜きます。旧日本軍の手りゅう弾はピンを抜いただけでは爆発せず、爆発させるには石などに叩きつけて発火させる仕組みでした。
曹長はおもむろに腕時計を外し、女学生の一人に渡します。そして、。。。
突然抜刀して女学生たちに向かって振り回します。
曹長:「女はゆけー!皆ゆけー!行かないと叩き斬るぞ!」
女学生たち:「きゃ~!」
曹長は、悲鳴を上げて逃げ回る女学生たちを執拗に追い回し、軍刀を振り回します。
曹長:「お前らが死んで何になる!?何になる?何になるんだよ!?行けー!!」
曹長の必死の形相に女学生たちは逃げ散ります。
そして全員が逃げ散った所で、曹長一行は急いで自爆しました。
沖縄戦では日本軍に強要されて自決した住民が大勢いたと言います。
しかし少数ですが、この曹長のような心ある人によって助かったと言う話も聞きます。こういった極限状態で出てくるのが、本当の人間性だと思います。
それにしても、これは実話に基づいたエピソードだったんでしょうか?この曹長にも生き残って欲しかったものです。。。
そして映画もいよいよ終盤を迎えます。
場面が切り替わり、迫りくる米戦車群を前に「唐船ドーイ」のカチャーシーを踊る正気を失った老婆(演:辻伊万里)。(因みに高校野球の応援などで良く見る沖縄特有のこの手回しの振り付けを「カチャーシー」と言うの、初めて知りました。)
亀甲墓の中では、親がわが子を殺し自殺する流血の惨事が行われています。
砲身のアングルから、戦車が老婆にどんどん迫って行くところで所でこのシーンは終わります。
老婆はこのまま、戦車にひき殺されてしまったのでしょうか?
ここからは、死体や殺されるシーンがワンカットでこれでもかと出てきます。
正に、死、死、死。。。
ひとしきり兵士が死ぬシーンが続いた後、「沖縄軍の戦死者 10万」のテロップが出ます。
その後すぐに「沖縄県民の死者~」と続くのかと思いきやそうではなく、背景で流れていた唐船ドーイのメロディは止み、音楽無しで海岸に座る女学生達一行のシーンに切り替わります。
まずは引率の教師が薬を飲みます。青酸カリかなんかでしょうか。
一行は次々と薬を飲んで行きます。
飲んだ後、女学生の一人が思わず「おかあさん!」と叫びます。この子だけ女優さんでしょうか?なんかきれいすぎて素人感が有りませんね(笑)。
一人の少女がおもむろに「ウサギ追いし、かの山~」と歌いだし、皆がそれに続きます。
しかし薬が回り、歌い終わらないうちに苦しみ出す一行。
そして全員が息絶えました。。。
皆、想像以上に幼く見えます。この女学生たちが実際に野戦病院の悲惨な環境で、従軍看護婦として働いた事を考えると、想像を絶します。
そしてこのシーンの後、「沖縄県民の死者 15万」というテロップが出ます。
軍人の時のテロップと比べて、数字部分が大きくなっています。製作側としてはここを強調したかったんでしょう。
そして死体が累々と横たわる海岸のシーンが映され、小林清志の渋い声で「この沖縄戦で沖縄県民の三分の一が死んだ」とナレーションが流れます。
それから上陸前の艦砲射撃で母親が死んで以来、あちこちの戦場をさまよっていた少女が再び登場します。
少女は死体が累々と転がる中を歩いて行きます。
そして、少女が死体になった兵士が持っていた水筒を拾い上げ、水をごくごく飲むシーンでエンドロールとなります。
2時間30分の長編もこのシーンで終わります。
いやー、長かった。
全般的な感想としては、細かな所まで非常に考証が良くできており、かつ戦争体験者が普通に社会にいた事も有るせいか、今の戦争映画に有りがちな誇張や、やたら感傷的な描写も無く、残酷な場面も含め、史実を出来るだけ忠実に再現しようと非常に努力した映画だな、と思いました。
その為、「日本のいちばん長い日」に匹敵する位のリアリティーを持った傑作だと思います。
とは言え、約3ヶ月という短期間に、あれだけ狭い土地で軍人10万人、一般県民15万人が無くなった激戦はとてもじゃないが映画に収めきれるものでなく、戦闘シーンについては、何となくスケールが小さいとかちゃちに感じてしまいました。同時に改めて本当の戦争の凄まじさと言うものを痛感しました。
あれだけ東北地方に大被害をもたらした東日本でさえ、死者・行方不明合わせて2万人強。それが沖縄戦では10倍以上の25万人。全く想像もつかない数です。
このことからも、改めて戦争というものの惨禍のすさまじさに圧倒されると共に、現在の基地問題含め、沖縄戦が沖縄に残した爪痕は、人の心の問題も含め、きっと計り知れないものが有るだろうなと思いました。
年齢を経て、特に子どもも出来ると、子どもが犠牲になる、或いは不幸になるような戦争なんかむやみやたらもするものじゃない、と心から思うようになりました。(そのわりに軍事が好きというのは矛盾してますが)
しかし、人類から戦争を完全に無くす事は難しいと思います。
非武装中立論のような現実を無視した幼稚で独りよがりな理想主義を掲げても、そんな理想主義など毛筋ほどにも価値を置かない覇権主義の国に乗ぜられるだけで、却って戦争を誘発する結果になるだけになってしまうと思います。
戦争に負けたからと言って、戦争は否定できません。仮に否定しても現実が許してはくれません。
最近の中国の傍若無人な覇権主義を目の当たりにするにつけ、このよう国家が存在する以上、完全に戦争の無い社会なん現状では夢物語だと思います。
残念ながら、力には力で対抗するしかないのが現実です。
沖縄戦のような悲惨な結果となった原因を直視して、2度とこのような悲惨な状態にならないためにはどうしなければならないか、を根拠の無い理想主義ではなく、現実世界を良く理解した上でよく考えなければならない、と本当に思います。
ふー、それにしても長かった。。。。
それでは、また!