高校生のときに

よく祖母に言われていた言葉がある。

それが

「あーちゃんは勉強出来るのか出来ないのか、よくわからない。」

です。


なぜ、祖母がこんなことを言ったのか。

それは私が4文字以上の片仮名が読めないからです。

片仮名が読めないので

高校生のときは3つ下の弟に

片仮名をローマ字に変えてもらって勉強していました。

ちなみに

今でも4文字以上の片仮名は読めないです。

大人になってから

というか

社会人になってからは片仮名をつかうことがほとんどなくなるので

大して困ることはありませんが

上司には私が片仮名を読めないことは伝えてあります。


発達障害と診断されたとき

サヴァン症候群も疑われ

可能性としてなきにしもあらず、と言われたのは

そういう極度の偏りが理由かな。

片仮名は読めないけれど英語は話せるし

簡単な計算は出来ないけれど複雑な計算は秒で出来るとか

日本語は苦手だけれど翻訳するような脳内変換は早いとか

おそらく

一般の人が理解出来ないレベルで

私は極度に偏っているんです。

昔、サヴァン症候群の人にひとりだけ会ったことがありますが

彼も英語や中国語はネイティブ並みに話せるけれど字は書けない人でした。


学習障害はないぶん

周りに気づかれにくいけれど

出来ることと出来ないことの偏りがかなり激しい。

たぶん、他の発達障害の人よりも激しいです。


私は良くも悪くもスパッとした潔い性格なので

片仮名が読めないときは

弟にローマ字にしてもらっていたし

簡単な計算が出来ないときは

電卓を使っていたし

日本語がわからないときは

辞書を使って調べていたし

自分が極度に出来ないことに関しては

早々に諦めて文明の利器に頼っていた。

極度に出来ないことは

どんなに努力しても

少し出来るくらいまでにしか上達せず

ほかの人とは競えないことをわかっていたから。

私、それで良かったと思うんだよね。


競争社会のなかを生き抜くには

自分が出来ないことは早々に諦めて

自分が出来ることで勝負するのも大切なことだと思う。

だって

出来ないことにばかり目を向けていたら

疲れるしストレス溜まるし良いこと、ひとつもないから。 


ちなみに

高校受験のとき、私は大嫌いだった数学は捨てたよ。

その代わり

残りの4教科は9.5割。

数学がたとえ0点でも合格出来るような点数を取るようにしたし

実際の得点開示では

さすがに0点ではなかったけれど

ほんと話にならない点数でした。

合格したあと先生方からはよく

「◯◯は

5教科受験なのに4教科で勝負してきたうえに上位の成績だった。」

と言われていた。


私は昔から自分の弱さや出来なさ、特性を知っていた。

それが私の強みだった。

アラサーになった今も勝負強く

大事なところを絶対に外さないのは

自分を客観視し、俯瞰的に物事をみる性格にあるのではないかと思う。