終戦から1956年頃まで、琉球の煙草事情は輸入煙草と闇煙草の世界でした。島内の民営煙草会社が紙巻き煙草の生産を始める1955年以降は、琉球政府は島内産業保護育成の立場から、輸入煙草に高い関税をかけてこれを駆逐します。この間に輸入されていた外国煙草のうち、アメリカ煙草をご紹介しています。
第二次世界大戦後、アメリカの統治下にあった琉球では民間貿易が禁止されていました。琉球政府が貿易を担いますが、1948年には琉球政府によって≪琉球貿易商事株式会社(リウボウ)≫が設立されます。
1950年代に入ると民間貿易の規制も緩和されて貿易は民間に移りますが、会社は1972年の本土復帰後も続き、現在は(パレット久茂地)の親会社であり、不動産業などを手掛けているようです。
今回はアメリカ煙草と【沖縄タイムス】に掲載された、その新聞広告が揃っっている製品を二点ご紹介しますが、このうちの一点は1952年に輸入された≪琉球貿易商事=リウボウ≫の輸入品です。
THE BLOCH BROS.TOBACCO COM.(INC.)
オールジャック
琉球貿易商事株式会社(リウボウ)の輸入品
〔輸正―12〕
封緘紙として使用された、琉球政府の納税証紙
新聞広告に≪琉球貿易商事株式会社(リウボウ)≫の名前が掲載されているので分かりました。
1952年10月19日 沖縄タイムス
社名が記載されています。
二回輸入されたようで、再入荷の広告も掲載されました。
1954年6月19日 沖縄タイムス
こちらにも輸入元として(琉貿)と書かれています。
LARUS & COM.,INC.RICHMOND,VA
トッパー
日本ではあまり馴染みのない銘柄です。当時のアメ車がデザインされていて、いかにも”50年代風です。当時はおしゃれで最先端のデザインなのでしょうが、今見ると逆にレトロ感にあふれて見えます。
〔輸正―3〕
封緘紙として利用された、琉球政府の納税証紙
1954年11月16日 沖縄タイムス
輸入業者の名前が記載されていません。
新聞広告の切り抜きはまだたくさんあります。日本専売公社の輸入品もありますのでいずれご紹介します。
アメリカ煙草では、このほか≪ドミノ≫≪ターバン≫≪ツーライオン≫などが見られますが、島内に設立された民営煙草会社【沖縄煙草産業株式会社】が後に製造するようになりますので、いずれ細かくご説明します。