さぁ、「かぐや姫の罪と罰」について本気で語ろう。 | ニュージーランド☆海風通信

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前回、ニュージーランド国際映画祭で、ジブリ作ったかぐや姫、

「かぐや姫の物語(The Tale of The Princess Kaguya)」

を見た、というハナシを書きましたが、

そのハナシには続きがありました・・・(;´▽`A``。


家に帰ってさっそく、今日見た映画について調べてみると、

日本版のかぐや姫には、おどろおどろしいキャッチコピーΣ(゚д゚;)がついておりました・・・。


その名も、

「かぐや姫の物語ー姫の犯した罪と罰ー」


かぐや姫7

・・・・(゚_゚i)。


なんなんでしょう・・・。このブラックなキャッチコピーは・・・((゚m゚;)。

「罪と罰」って・・・、ドストエフスキーかっ!?

「本当はおそろしいグリム童話」みたいな感じなのかしら・・・((゚m゚;)?

純粋な親子の物語に、単純に感動していたニュージーランドのファンを差し置いて、

実は、裏かぐや姫みたいなものがあるってこと((゚m゚;)???


気になる・・・。


ジブリの作品には、それぞれとても印象的なキャッチコピーがついています。

大好きな「魔女の宅急便」には、

「おちこんだりもするけど、私は元気です」

うんうん。キキの元気な様子が思い浮かぶ、大好きなキャッチコピー( ´艸`)☆。

こちらは、糸井重里さんの作品です。


「千と千尋の神隠し」

これには「トンネルの向こうは、不思議の町でした」というキャッチコピー。

これも糸井さん作。すごいなぁ。

「不思議町」じゃなくて「不思議町」というのが、なんだか引き付けられる。


「もののけ姫」は、するどいこの一言。

「生きろ」

これも糸井さん。


同じようなキャッチコピーで、

「生きねば」というのを使っているのが、

去年公開された「風立ちぬ」。


「火垂るの墓」は、

「4歳と14歳で、生きようと思った」

戦禍の中を必死で生きようとした兄と妹。

4歳って、コナくんと同じじゃないかぁぁぁぁっ!

このキャッチコピーを見ただけで、泣きそうになる・・・・°・(ノД`)・°・。


で、問題の「姫の犯した罪と罰」。


コレ実は、9世紀に書かれた原作「竹取物語」でも言及されているそうです。

そのことについて「かぐや姫の物語」の監督である高畑勲氏は、公式HPでこう述べています。


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原作の「竹取物語」で、かぐや姫は、

月に帰らなければならなくなったことを翁に打ち明けたとき、

「私は“昔の契り”によって、この地にやってきたのです」と語ります。

そして迎えにきた月の使者は、

「かぐや姫は、罪を犯されたので、この地に下ろし、

お前のような賤しいもののところに、しばらく間、おいてやったのだ。

その罪の償の期限が終わったので、こうして迎えにきた」と翁に言います。


いったい、かぐや姫が月で犯した罪とはどんな罪で、

“昔の契り”、すなわち「月の世界での約束事」とは、いかなるものだったのか、

そして、この地に下ろされたのが、その罪ならば、それがなぜ解けたのか。

なぜ、それをかぐや姫は喜ばないのか。

そもそも、清浄無垢なはずの月の世界で、いかなる罪がありうるのか。

要するに、かぐや姫はいったいなぜ、何のために、この地上へやってきたのか。

これらの謎が解ければ、原作を読むかぎりでは不可解としか思えないかぐや姫の心の変化が、

一挙に納得できるものになる。


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そう考えた高畑監督。50年温め続けた結果、

「月の世界での約束事」についてこう推測しました。

これは、かぐや姫が地上に下り立つ前の話。

月の世界での出来事です。


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その人は歌を唄っていました。

まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 連れてこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 呼んでこい

かぼそい、もの哀しい歌声で。
そして、決まって涙を流すのです。

めぐれ めぐれ めぐれよ 遥かなときよ
めぐって 心を 連れてゆけ

鳥 虫 けもの 草 木 花
人の情けを はぐくみて
まつとしきかば 今かへりこむ

「どうして。どうして泣くの。
この月の世界はどこまでも静かで美しく、悲しいことなど何もないのに。」

でもその人は何も答えません。
ただ黙って涙を流すのです。

「これ、そのようにその者に尋ねてはならぬ。
その者の心を乱してはならぬ。」

「どうして。
どうして尋ねてはいけないのですか。」

「穢れてしまうからだ。
かの地から帰り来て、ようやく穢れを忘れたというのに。
お前はまたその穢れを呼び覚まそうというのか。」

「でも、心惹かれるのです。この歌に。
心が求めるのです。この歌を。」

「それは罪なことだ。
それは許されぬことだ。
かの地の歌に心奪われるなど、あってはならぬことなのだ。
お前が犯したこの罪を償わせるには、お前自身をかの地へと降ろすほかはない。」

「かの地へ?
あの歌が唄う場所へ?」

「これ、そのように嬉しそうな顔をするでない。
お前はかの地の恐ろしさが、わかっていない。
これは罰なのだ。
お前はかの地で穢れにまみれ、苦しみながら生きなければならない。
だがもし、お前がその穢れに耐えきれず、助けを呼んだならば、
そのとき、お前の罪は許される。
お前自身がかの地の穢れを認めたのだから。
そして清らかな月へと、お前は引き上げられよう。」

歌が、聞こえてきました。
遠く遥かな、かの地から。

まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 連れてこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 呼んでこい

それは、かの人が囁くように唄う哀しげな歌ではなく、
澄んだ幼い声が唄う、不思議に懐かしい歌声でした。

まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 連れてこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
春 夏 秋 冬 呼んでこい

わらべ歌だろうか。子供たちが唄う澄んだ歌声が、

里の方から竹林の中をぬって聞こえてくる。


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「地上に憧れた」。

それこそが、かぐや姫の罪である。と高畑氏は考えたようです。

穢れた地球、賤しい生物たち、そんなものに興味を持ったこと自体が、

天上人にとっては罪なのだと。

「あそこは恐ろしい場所だ」と諭しても、聞き分けのないかぐや姫。

「だったら一人で行ってみなさい」と懲らしめられました。

そして同時に、

「もう帰りたいと音を上げたなら、連れ戻してあげよう」という約束もかわしました。

それが月が迎えに来る日だと。


そして、数々の不自由な出来事に翻弄されたかぐや姫が、自ら月に帰りたいと願い、

とうとう月に帰る日、迎えにきた月の王は、仏様の姿仏像をして、天女天女を従え、

雲に乗って降りてきます。


かぐや姫16

つまり「月の世界」を高畑監督は、「死の世界」、

すなわち「あの世」と読み取ったんだと思います。

雲に乗って仏様仏像がやってくるということは、

文字通りかぐや姫に「お迎え」がきたのです。


あの世からやってきた仏様の一団は、楽しそうに楽器を演奏しながら、

奥の間に隠れていた姫を、あっけなく連れ出します。

それは、もう「死」そのもののような潔さ。

弓を放ち、刀をかざすも、何の役にも立ちません。

お爺さん、お婆さんのも、懇願も、

「死」を前にしてみれば、それは、ただのむなしい希望でしかありません。


雲に乗った天女は、「帰りたくない」という姫に、

天女「さあ、この羽衣を着てこの世の穢れを清めるのです」

と癒しの言葉をかけます。

しかし羽衣を被せられる瞬間、かぐや姫は叫んでしまいます。
平安「この世は穢れてなんかいないわ!

みんな彩りにみちて、人の情けを・・・」
・・・・と言葉を続けるも、無情にも羽衣をかけられ、

そのまますべての記憶を失って、天上へと帰っていきます。


月の世界。そこは、天上の世界。

穢れも、苦しみも、憎しみも、

いがみ合うことも、うらやましがることもなく、

純粋無垢の「無」の世界。


それに対する地上の世界。

人々の憎しみに満ち、嫉妬と、憎悪に満ちた世界。

姫と一緒に授かったお金で、贅沢な暮らしをするお爺さん。

姫の心を射止めんと、虚言を弄する貴族たち。

いずれも天上人から見れば、賤しい行いでしかなく、地上の醜さを表しています。

そんな場所に、たった一人で生きねばならなかった。

天上人から見れば、なんと厳しい罰であろうか。


かぐや姫14


天上人が言ったとおりの虚飾に満ちた都の暮らしに、嫌気が差し、

自ら月へ帰ることを望んだかぐや姫。

それでも「月へ帰る」=「死を前にしたとき」、

地球には素晴らしいものきらきら!! がたくさんあることを思い起こして、苦悩します。

せっかく地球に来たというのに、自分は何をしていたのか。

たしかに地上は汚れた場所だ。

憎悪が渦まき、人々は自分の欲望のために、その短い人生を削っている。


しかし、その醜さも、汚らわしさも、煩悩も苦悩も、すべてひっくるめて、

それは、美しい「いのちの輝き」であったのだ。


かぐや姫15


鳥が歌い、草木が萌え、獣が走り回る。

そんな自然が美しいと感じるのと同じように、

苦悩し、心を打ち砕かれようとも、前へ前へ進もうとする人間の営みは、

何にも代えがたく、燃え上がる美しい命そのものだった。

それなのに、その命を、自ら終わらせるよう願ってしまった自分は、なんと愚かであったか!!

かぐや姫は叫ぶ。


平安「私は、生きるために生まれてきたというのに!」


このかぐや姫の誕生から死への物語は、

私たちの人間の一生のようです。

「人間は、何のために生まれてきたのか」

その答えが、この映画の中に、はっきりと表れているような気がします。

ときに笑い、ときに悲しみ、ときに憤る。

人を傷つけ、そしてまた人に傷つけられる

それはまるで、川面にただよう木の葉のように頼りなく、流れに翻弄されながら、

いつか来る、決して逃れようのない「死」という終着点へ、刻一刻と向かうはかない命。

「一体、何のために生まれてくるのか」

それは、「生きるため」。


最後にかぐや姫は月に帰る前、幼馴染の捨丸(すてまる)との

淡い恋物語を夢見ます。


かぐや姫12


その幸せな夢の中で、こんな言葉を放つのです。


平安「生きている手応えさえあれば、きっと幸せになれた」


月の住人が、地上を汚れた世界だと言うように、

優雅な都の世界を知ってしまったお爺さんも、

山里での暮らしを、汚れた世界だと思うようになりました。

そこに生きるべきではない。そこには幸せなどあるはずがない。


しかし姫の幸せは、あの里山にこそありました。

泥にまみれ、仕事に汗し、

そして地位はないが、誠実な心を持った大切な人がいる場所。


そこで、生きるために働き、生きるためにキノコやツルブドウなどの山の恵みをいただく。

時には、畑のウリを盗んだり、山の獣を殺めたりする。

それは、貪欲までに生きようとする人間の本来の姿。

他の命をいただいて、自分の命を長らえようとする。

そして、いつか自らも、土に帰り、他の命を育む大地となる。


かぐや姫13

夢物語の最後に、天空から大地に真っ逆さまに飛び降りながら、姫は言います。


平安「天地(あめつち)よ、私を受け止めてっ!」


このまま死して、大地に帰ろうとも、

私はまた他の命となり、この地に帰ってくる。


たとえ月に帰り、「無」となっても、

いずれまた、「生」となる日がやってくる。

最後に月に映った赤ちゃんの顔は、その暗示のような気もします。


そう。高畑監督の「かぐや姫の物語」。

それは、壮大な輪廻転生の物語。

この映画を、映画館で見たニュージーランド人の何割の方々が、

これを輪廻転生の物語と理解しただろうか・・・。


ジブリ作品は、それぞれカタチは違うけれど、

一貫してそのテーマが「生命」に、集中しています。

その中でも、この作品は、飛びぬけて強い、

「いのち」のメッセージを送っているような気がします。


ぜひ、また機会があったら、見てみたい作品です。


かぐや姫11


この作品が遺作となってしまった地井武雄さん。

お爺さんのかぐや姫を想う声の一つ一つに、地井さんのを感じる作品でもあります。

ペンギン


ところで、今週末、お友達のお家で、子ども映画鑑賞会をすることになりました(*^_^*)。

お友達の一人、シンガポール人のママジブリファンなので、

「となりのトトロ」にしようかな~、「魔女の宅急便」にしようかな~( ´艸`)と考えていたら、

もう一人のニュージーランド人のママから電話がありました。


Wi「ペンちゃん、ゴメン。

どっちも、子どもたちには見せられない・・・」


ニュージーランド人の多くはキリスト教。

中でも、彼女は特に信仰が深い。

Wi「やっぱりね、魔女はダメなのよ。これって、いい魔女の話でしょ?

子どもには、『魔女』はやっぱり『おそろしい魔女』って教えていて、

いいイメージを見せちゃうと、たぶん混乱しちゃうと思う・・・。ホント、ゴメン(>_<)!」


そうか・・・。ウィキペディアでも、

魔女とは、古いヨーロッパの俗信で、

超自然的な力で人畜に害を及ぼすとされた人間、

または妖術を行使する者のこと・・・とされている((゚m゚;)。

「魔女っ子メグちゃん」とか「おジャ魔女どれみ」とか、魔女をヒロインにしているのは、

日本のアニメ、独特の世界なのね・・・ヽ(;´ω`)ノ。


で、トトロはというと、

Wi「トトロもね、木の精霊でしょ?マオリ信仰みたいなものよね。

それもやっぱり、ダメなのよ・・・(>_<)。

神様は、やはりお一人だし、

木の中にスピリチュアルな物がいるというイメージを、

子どもたちに持たせたくないの・・・。

せっかく用意してくれたのに、ホント。ゴメン・・(>_<)」


自然の中に神々がいるってる発想は、日本人なら理解できる当然の文化だけど、

毎週教会に通い、神様のお言葉をいただいている家族にしたら、

木の精霊が出てきて、人々を助けるっていうのは、理解しがたいかもね・・・ヽ(;´ω`)ノ。


分かりました。

というワケで、映画選びは、彼女にお任せしました(^_-)-☆。


ジブリアニメ世界で評価される時、その手法はもちろん、

皮肉のようだけど、理解できない異文化である「日本らしさ」という点が、

良くも悪くも、大きく海外の視聴者をにしている点も、納得かも(^_-)-☆。


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