合併前の痕跡~2015年の記事改訂版~
『合併前の痕跡~2015年の記事改訂版~』
おはようございます。
予報通りの雨となっております、2024年5月13日㈪の小江戸川越です。
今回はアメブロ未収録の2015年の記事に手を加えてお送りします。
さて、川越市は今から102年前に、当時の川越町と仙波村が合併して市制を施行、さらに1955(昭和30年)に、芳野・古谷・南古谷・高階・福原・大東・名細・霞ヶ関・山田の各村の合併を以て、現在の市域になりました。
(その間にも細かい合併がありますが、割愛させていただきます)
すでに最後の合併から70年近く経過したという事なんですね♪
当時にお生まれになった方が古希を越える時間が経過して、かつて村であった場所の面影が少なくなってきています。
それでもかつての村の拠点に当たる神社には「村社」の文字が生きていたり、福原地区では「福原村役場跡」というような石碑が建立おり、その痕跡を未来に伝えています。
また、その神社などに奉納された灯籠などにも、当時の地域の名前が彫られている事もあり、よーく見てみると、大変興味深いものですね。
発見当時の2015年……
「まさかこういう場所に痕跡はないよね?」と思いながら歩いた道がありました。
入間川街道から大田街道に入ってすぐ、かつての大東村役場の跡地あたりの道路際、何かオーラを放つ物件が……
近づいてよーく見てみると…
油断禁物です。
かつてここが「大東村」であったという確かな証拠が、今でも現役で存在しているではありませんか!?
石造りでは無く、コンクリート製の境界標ですが、そこにはまさしく「大東村」の文字が輝いていました。
その本数は僅か一本しか確認されておりませんが、のら蔵的には貴重な文化財になるのではないかな?と勝手に認定したくなる感じです(笑)
もしかしたら皆様の足元にも、昔の地名が眠っているかも知れませんね(^O^)
それでは本日も小江戸川越で、お楽しみ下さい\(^o^)/
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