2012年の8月から約半年間、言葉の契約で命助ける手伝いした昔の顔馴染みの人の妻代わりの姐さん、半年務めました。
数年経てあれちのバイト先でたまたま遭遇して、ちょっと話を聞くことになって、事情をよく聞いたら、まあ、命狙われてると。
次の日地元で花火大会だったし、あれちが住むとこの海手側の船着き場は一部フェンスで囲まれた法的治外圏で、そこに連れ込まれたら花火で銃声掻き消されて殺されたらどうしよう…ってなってね。
まあ大事には至らなかったんだけど、後日逮捕者やら怪我人がかなり出るまでの抗争になったんだよね。
あれちは姐さん代行になったから、もう翌日の朝から付近に身辺警護のガードついて、自宅から外出しても「家にいなさい」って周りから警告されて、おちおち外出ものんびりできなくなってね。
あれち、その前に妊娠検査受けに婦人科行きたかったんだけど、行けなくてまた生理が来なくなって、カリカリしやすくなって。家族にも散々説明したんだけど、「そんなことないよ、あんたの妄想」って軽くあしらわれて。
9月になっても生理こないばかりか、食欲ないままゲッソリ痩せて、お腹だけ膨らんだままで、不安が募るばかりだった。
十月、出血してまた塊が出て、まあ取り敢えず妊婦ではなくなったんだけど、十一月、とうとううちの精神状態が限界迎えて、キレてベランダから物ぶちまけて、通報受けた警官がきて、なかにはうちが事前に相談に行った際に対応してくれた担当の警官も駆けつけて、パトカーではない警察車両に乗って、不安見せない素振りでいたんだけど、腹に母子手帳と身分証、パンツ三枚はいて着替え着込んで行った先がさくら病院でね。
即日入院になって、後日検査結果なりのカルテの内容を警察に引き渡す条件で入院になったんだ。
2012年の十一月三日。腹部の検査の結果は妊娠の有無は陰性。もう陽性反応ではなかったけど、子宮の内膜の剥離のあとが私の目にもわかった。その日も腹部出血あったから急いで止血剤打たれて。
入院になる前に本町歩いてたらとあるビルにいた黒服やらその他の子達が私語をやめて、通路を空けて両側二列になって一斉に深々と私に向いて一礼してくれてね。
あぁ、取り敢えず私が助けた人の命は助かったんだ、決着ついたんだ、ってね。涙出たよ。
姐さん契約終了は院内で迎えたかな、と思ってたんだけど、終わりじゃなかった。そのあと少なくとも翌年までは外出してもちょいちょい護衛がついたかな。まあこちらの安否も気遣ってくれた配慮なので、いまでは感謝しています。
あのとき関西や果ては山口から駆けつけてくださった皆さん、ありがとう。
今年二度目の姐さんの立場になりましたが、話は断りました。もう二度と、誰からも「姐さん」とは呼ばれたくないからです。
呼ばれるたびにフラッシュバックするわw
とゆう逸話でした。
♯あれちは任侠の世界とは無縁。距離を置いて暮らしています。
♯もう姐さんとは呼ばないでね?
♯あれちは生まれてこのかたずっと堅気です。やーさんからお金をもらったことはないよ。
♯あれちのタトゥーはオシャレで入れてる和彫りです。図柄は金魚ちゃん。(笑)