こんにちは。6年前の今頃は青森に住む私たちも、午後2時過ぎの大きな揺れに怯え、電気が止まり暖を取れなくなったので、自宅に居てもいられなくなり、
近所の小学校に避難をし、長い一夜を明かしました。
私が現在も住む集合住宅は5階建て、揺れがとても大きく、収まるまでがただただ恐怖でした。
避難先の小学校で夜中に耳にしていたラジオ、今でも忘れません。
不安で眠れなかった私たちは寒い廊下で椅子に腰掛け、静かに朝が来るのを待ったっけ…。
朝になって緊急食料のパンやお水の配給が始まる前に私たちは学校の先生方にお礼を告げ、食料の買い出しに出掛けた。
まだ早朝で、信号機は機能せずに止まったまま。
朝日で照らされた蒼白く光る雪道が不気味だったっけ。
生協に向かい、まだ時間が来ないのでファミリーマートに向かい、開店の列に並び、お菓子や飲み物を買えた。
その足で自宅に戻り、電気と水が復旧するのを待ち、テレビがついたところでただ事ではないことを知った。
その後は各自報道の通り。
3.11は午後の揺れの後に仙台などではすぐに津波の脅威が街を襲い、渦や波に押し流されていく車などが映っていた。
あれから6年、いまだに復興できていない街もあると聞く。
亡くなられ、被災を受けた全ての方々に、合掌