カネのちから

 

今、芹沢光治良の「人間の運命」(二)を読んでいる。この自伝的小説の中で、主人公の森 次郎は、一高の苦学生で、学費や生活費が足りず苦労する。学業は優秀なのだが、カネがないのは如何ともしがたい。学費が払えないから、卒業できるか分らないし、従って帝大の試験も受験資格がないと悩む。

 

そんななかで、一高生の中から優秀な学生に外務省のアルバイトの職が斡旋される幸運に恵まれた。また、郷土の成功者の学費貸与の資格も得られた。

 

そのときの次郎の喜びというか、安堵感はいかばかりか。カネのちからは幾ばくか、と痛感したのである。

 

「人間の運命」は(七)まで続くから、今後、次郎がどのように発展していくか楽しみだが、私自身、カネのちからは痛いほどよくわかる。

 

私はマルクス主義者ではないが、「下部構造は上部構造に優先する」というテーゼはしみじみ感じるし、私の就職の動機の大きな部分は給料の高さであった。

 

いいかどうか、是非は分らないが、経済の安定は心の安定のベースになると思う