『イノセンツ』 純粋な悪意? | 悪食のシネ満漢全席

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ろくに情報知らぬまま、当たり屋みたいに突撃して、 しょーもない感想を言い合って、備忘録代わりに残します。 かなりの無責任、言いたい放題、無礼千万をお許し下さい。

 

悪食 80点
今年 65本目

監督、脚本 エスキル・フォクト
出演    ラーケル・L・フレットゥム
      アルバ・B・ラームスタ
      ミナ・Y・B・アジェイム
      サム・アシュラフ


不思議な力に目覚めた子供達の遊びが次第に狂気を帯びていくというノルウェー製のサイキックホラー。
渋谷ホワイトパルコへ。

鑑賞結果、性善説か性悪説か?子供の純粋な殺意をメタファーとして描いたのか?このように描くのはかなり怖い。

ここからネタバレ満載でいきますからご注意を⁉️



ノルウェーの郊外の団地。そこで夏休みの間に友達になった4人の子供。
アナ(アルバ・B・ラームスタ)とイーダ(ラーケル・L・フレットゥム)姉妹の姉のアナは重度の自閉症。家族でもコミュニケーションは取り辛かった。

妹のイーダはそれでも姉のアナの面倒を嫌々ながらも見ていて、公園にも連れ出していた。


公園でアラブ系の男の子とベン(サム・アシュラフ)と仲良くなる。ベンは特技があって落下している石の方向を変えることが出来た。サイコキネシスが使えたのだ。


イーダとベンはたちまち仲良くなった。
公園に残されたアナに一人の女の子アイシャ(ミナ・Y・B・アジェイム)が近付いてきた。アイシャはアナが考えていることが話さなくても分かるようで二人は仲良く遊んでいた。アイシャはテレパシーが使えるようだった。


こうして4人は仲良くなっていった。



ベン(サム・アシュラフ)の超能力はアナ(アルバ・B・ラームスタ)がそばにいると力強くなっていた。
また4人でテレパシーゲームもしていた。
ところがイーダ(ラーケル・L・フレットゥム)が悪戯でベンの悪口をテレパシーで伝えたことから、ベンは怒り出して帰ってしまった。
それ以来、ベンは仲良くするどころか他の3人に攻撃的になっていった。



ベン(サム・アシュラフ)のサイコキネシスの力はどんどん強くなり、ベンはその力を行使するようになった。
ベンは家庭では母親に愛情をもらえていないネグレクトな生活を過ごしていた。
ある日、ベンはとうとう母親をサイコキネシスで殺してしまった。しかしベンには後悔の念はなく、それどころか邪魔者がいなくなって清々したという風情だった。


ベンはこの力をイーダ(ラーケル・L・フレットゥム)に向けたが、アナ(アルバ・B・ラームスタ)とアイシャ(ミナ・Y・B・アジェイム)に邪魔をされて失敗した。

そこで今度アイシャを狙った。一度はベンの攻撃からアイシャを守ったアナとイーダだったが、ベンはアイシャが1人になる家にいる時を狙った。ベンはアイシャの母親を操り、アイシャを刺殺させたのだ。


ベンのサイコキネシスは人をも操れる様になっていた。

このままベン(サム・アシュラフ)の暴走を放っておいたら今度は自分達が殺されると思ったイーダ(ラーケル・L・フレットゥム)は、ベンと仲直りをするふりをしてベンを橋の上から突き落として殺そうとした。


しかしベンは咄嗟に落下する自分の体を車道ではない路肩に落とさせた。
命を狙われたベンは復讐の為にイーダを狙い始めた。しかしイーダを殺そうとしたところをアナ(アルバ・B・ラームスタ)に邪魔されて、今度は2人をまたもや母親を操って殺そうとした。何とか切り抜けた2人は公園にいるペンを見つけた。


アナ(アルバ・B・ラームスタ)とイーダはベンに殺意を送った。ベンも対抗した。しかし団地に住む何人かの子供がその殺意を察知し、ベンに対して殺意を返した。ベンはその多くの殺意によって殺された。
こうして団地は平静を取り戻した。
エンド。

という映画です。夏休みのある日、たわい無く遊んでいた子供達がふと手に入れた超能力。それを遊びの中でどんどんと強力にしていった。
すると子供はその力をどう使うのか?
子供の感情で使われるのである。
人を殺すことに善悪を感じないのか?
それはその子供が育った環境によるのかもしれない。
愛情もなく、ネグレクトを受けて育っていれば、親は邪魔な存在。殺すことに対して歯止めは無い。そして一度人を殺してしまうと、罪悪感すら感じなくなって、邪魔者を次から次へと排除したくなるのだろう。
それはある意味純粋な子供の願い。善悪は関係ない。
それをまざまざと見せつけられた映画だ。
かなり読後感は悪い。
しかもこの話は性善説と性悪説の論議にまで発展してしまう。
これが大人であれば、邪悪な精神ということで決着するだろう。
しかし子と子供の世界に当てはめると、うすら恐ろしい結果になる。
後半で、イーダ(
ラーケル・L・フレットゥム)がベン(サム・アシュラフ)を殺そうと計画するシーンがある。仲直りを装って相手が油断した隙を狙って殺そうとする計画。これは怖かった。ある意味ベンはまだ子供。簡単にイーダの計画に嵌る。そして殺されそうになる。
このシーンはイーダが純粋な子供ではなく計画殺人を遂行する1人の女に見える。女性は子供でも恐ろしいと感じさせるシーンだ。


この映画にフォクト監督は何を込めたかったのか?
性善説、性悪説の決着?
純粋な子供の殺意?
女という怖さ?
それとも子供は純粋な殺意のメタファーか?
全部なんでしょう。フォクト監督の闇が見える様です。

かなり読後感の悪い薄気味悪い映画です。
しかし観るべき映画なのかもしれません。
是非、劇場で確認してください。