永六輔 7.7 | ジャズと密教 傑作選

ジャズと密教 傑作選

空海とサイババとチャーリー・パーカーの出てくるお話です

放り込まれた労働環境のせいでラジオをいつも聴いていた。おかげで小沢昭一や永六輔に親しみを抱くことになった。

永六輔は放送作家であり、長年ラジオに出て話すことにも慣れていたから、自分の持ちギャグや売り文句に固執してなんとか食っているような、その辺の漫談師顔負けの話術を披露することもあった。そんな面白い話を聞かされたときは、その僥倖に気分が昂ったものだ。

新しい機械についていけない人は往々にしてそれを嫌いだと公言する。永さんも携帯電話を好まなかったようだ。それは端末を扱う人たちのマナーの悪さと共に常々ご本人によって語られた。

そんな永さんがあるとき列車でどこかに出かけることになった。その時のエピソードというかネタというか。

気が重かった。人の多い場所でマナー違反が横行する。永さんは車掌に強く要請する。通話禁止の旨を繰り返し車内放送してくれ。「はい」他でもない永六輔の仰せである。車掌は直立不動で返事をし、踵を返して車掌室に戻るやいつもの文言を読み上げる。

「お客様にお願い申し上げます。車内での携帯電話のご使用は他のお客様のご迷惑と~」それは何度も執拗に繰り返された。天下の永六輔の機嫌を損ねてはならない。そこには車掌の緊張が滲んでいた。

だが、そんな車掌の気苦労も知らず無情な着信音が鳴る。だって電話をかける方には車内放送は聞こえない。
「もしもし」
その野太い声はあろうことか永さんのすぐ後ろの席から聞こえてきた。永さんは気が短い。よりによって俺のすぐそばで・・・。

話し始めた声の主に向かって
「うるせえ」
思わず声を荒げた。話し声は止まり、少しの間をおいて大柄な中年男が永さんの視界に侵入してくる。
「まずい・・・」その風体は紛う方なき反社会的勢力のそれであった。青くなった。男は鷹揚に声を低める。
「申し訳ない」そう言いながらなんと空いている隣の席にどっかと座り込んだ。永さんは震え上がる。

「いや、申し訳ない」男は繰り返す。手にした端末は通話中のままだ。「いやね、うちの若いもんがね」そこまで言うや端末を耳に当て「ばかやろう」いきなり怒鳴った。周囲にも緊張が走る。永さんは生きた心地がしなかった。

「このがきゃあ、てめえが列車の中なんぞに電話かけてきやがるからお叱りを受けたじゃねえか。どうしてくれるんだ。てめえ、俺の顔に泥を塗るつもりか」電話の向こうの返答に困った様子が伺える。「どう落とし前をつけるんだ、このやろう。いいか。こちらの方に事情をお話しして謝りやがれ」

男は永さんに端末を渡そうとして一旦引っ込め「いいか。これで済んだと思うなよ」と電話の相手に言った。永さんは自分が言われている気がした。

「とまあ、そういうことで」改めて永さんに向かって男は言う。「うちの若いもんがお詫びしたいと言ってます。どうか、話を聞いてやっていただけませんか」永さんの声は震えている。「いいえ、結構です。お詫びだなんて」

「なんだと」
怒号が響く。永さんは飛び上がった。「おい、うちの若いもんはなあ、まじめに仕事をやってるんだ。一生懸命で不器用なそいつがしでかした不始末をお詫びしたいと今、電話の向こうで言ってるんじゃねえか。それを受けられねえたあ一体どういう了見だ」

「は、はい、すみません。分かりました。それじゃあ」仕方がない。永さんは受け取った端末を耳に当てる。
「もしもし」

間の悪いことにその時ちょうど車内の見回りに車掌が出てくるのだった。携帯端末を耳に当てた永六輔を視界に捉えた彼は目を丸くする。「なんと」彼はその場から逃げ出すように自分の城(車掌室)に戻った。

ばたんと扉を閉める音が響くと、一呼吸おいて車内放送が流れる。「お客様にお願い申し上げます。車内での携帯電話のご使用は~」

このほんとのことかどうか分からない話を永六輔さんご自身がラジオで披露していた。わたしはアウディ RS 5 ガブリオーレの運転席(←うそ)でそれを聞いた。