人ってどうやって生きたらいいのかわからない人が多い気がする。

 

だから生きる指針というか信じる何かを求めたり。

 

それが宗教だったり、親や尊敬する誰かだったり、自分自身だったり。

 

でも自分がこれだ!!と思って、

もしくは周りの影響で信じていたものが

実は間違いだったらどうだろう。

覆されたらどうだろう。

最近話題の統一教会もしかり。

 

私の母もエホバの証人の熱心な信者だった。

 

エホバの証人は神の裁き、ハルマゲドンを真剣に信じている。

ハルマゲドンの時、エホバを信仰してないと生き残れないので一生懸命に他を救おうと伝道活動している。

 

私は母の傍ら、なんでそんなこと真剣に信じれるのだろうか??

と不思議だった。

それが間違いだと言いたいわけではないのだけど、エホバの証人の聖書には他にも沢山矛盾がある。

 

それでも真剣に信じていた母は、もし生前エホバの証人が今みたいに統一教会のような取り上げ方をされたらとてもショックだろうと思う。

 

誰だって自分が信じているものを否定されたら嫌だと思う。

 

でもそんなことどの宗教でもどの親でも自分自身にだってありえる。

無宗教の人は自分か周りの誰かを指針に生きているのだろうけど、それもかなりブレる。

よくも悪くも価値観が変わったり、子供の時絶対と思ってた親や大人がそうでもなかったり。

 

私もそれらをたーーくさん経験している。

 

そして行き着いたのが

「奇跡のコース」

 

深く理解すればするほどブレがない。

 

そして全てのことを総括している。

そこに間違った信仰をしている人がいても、

統一教会であろうがエホバであろうが創価学会であろうがオウムであろうが、イスラム教や仏教であろうが

無宗教であろうがそれでいい。

それらの人に意見を言わなくても正さなくてもそれでいい。

 

こんな風に物事を解き見ることができるような全てを統括した教え、中々ない。

 

 

ブレッブレなのはエゴの自分だけ。

 

そこが一番むずいのだけど。

 

本来の自分と神と言われるものを体験した今は納得ができる。

*知っているのとブレないのは別だけど

 

 

生きる指針。

何を選ぶかは『不変』なものであってほしい。

矛盾がないでほしい。

誰かに否定されないものであってほしい。

 

誰かにとやかく言うのではなく自分自身の心に向き合っってほしい。

 

ブレない自分を作っていくことと、その自分を信じていけるようになるのがコースの一つの要素かな。

 

 

頑張ります。