画像は
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Titian.Danae01.jpg
より。
金貨の姿でダナエに降り注ぐゼウス。
聖母マリアのイエス懐胎は、この、ダナエの物語に支えられているという。
…そんなことが書いてある、マーク・シェルの『芸術と貨幣』などに導かれて(遅すぎ)、あくまで軽くメモ。
シェルの著作はキリスト教と貨幣との深い結びつきを指摘していて、斬新な視点だなあと。それから以前採りあげた舎利信仰に於いて、日本では舎利が湧出する、という現象が中世に起こるのだけれど、それに似た現象がキリスト教における聖遺物にも起こっていること、そして、ビザンティウムにおいて、偶像破壊論者たちは、皇帝の肖像を刻んだ硬貨を地面に投げ捨て踏みしめたというエピソードも、今後の参考になるかしらん、と思って読んだのだけれど、個人的に面白かったのは、ポーの『黄金虫』で”gold bug”は、金本位制論争における支持者たちのことを指すのだという指摘。
ポーと言えば、乱歩。
彼も処女作『二銭銅貨』(…って、もろですね…)を金本位制の崩壊の中で発表したこと。(たしか。自信なし)
どちらもボストンと東京という、人口が増大しつつある都市、そして、貨幣を取り巻く環境に大きな変化が見られた時期に誕生した作品。
シェルの著作のp.100には、マグリットの作品が掲載されているけれど(こちら
)、この作品も『二銭銅貨』と同時代であるということも、ちょっと面白いな♪
つまり、マグリットの作品においては、絵の内容とタイトルとがずれている。
『二銭銅貨』にも、貨幣の形はしているのだけれど、でも、実際には使えない、贋金が描かれること。
それを金本位制の崩壊と重ねて読むこともできる…はず。(=表象は、うそっこ)
贋金といえば、ジイドの『贋金づくり』も1920年代に発表。こちらも考え合わせると、もっと多くのことを指摘できるでしょうけれど、ちょっと余裕がないし、関連図書も恥ずかしながら未読。
そして、この時代はまた、ケインズ先生がぶいぶい言わせ始めた時代であることも、もしかすると面白い形で関係する…かも… (やっと拙ブログ冒頭の先生に、ご登場いただけた…もう満足)
すこし気になるのが、デフレの今、アーティストたちは現状をてこにして、どのような新しいジャンルを切り開こうとしているのでしょうか?
現代アート、あまり詳しくないので、気になる、としか書けないのですけれど…
(どなたかにご教示いただけましたら幸いにございまする♪)
とりとめもない雑なエントリですけれど、夜も深まりましたので、このへんで。
秋の夜長、みなさまどうぞよいひと時をお過ごしくださいませ。