ここのところ明菜絡みのトシちゃんのニュースがいくつか流れて来て、内容的には眉唾物だなと思いながらも、数年前トシちゃんから「留守電に明菜からのメッセージが入ってた」という思わぬ発言があったので、ふたりが接点を持つことをちょっとだけ期待してしまっている。
トシちゃん、テレビで明菜にメッセージ送ってくれてるからね。
トシちゃんと言えば、我々世代のスーパーアイドル。
『3年B組金八先生』の生徒役で人気に火がつき、(福島県ではリアルタイムでは放送されていなくて、世間についていけなかった)満を持して歌手デビュ一すると一躍スターに。
世代の人なら、ファンで有る無しにかかわらず、たくさんのヒット曲が今でも沁みついてるはず。
私が特に好きなのは、「悲しみ2(TOO)ヤング」「君に薔薇薔薇…という感じ」「原宿キッス」。
(トシちゃんごめん。実はバックの のおちん が好きだった (-_-;) )
トシちゃんって、明るさの裏にどこか影があったんだよね。
トシちゃんがすごいのは、売上げが落ちてきた時期もあったのに、「抱きしめてTONiGHT」で再びトップに返り咲いたこと。
『教師びんびん物語』がある日は周りの女子はみんな早めに帰宅していたし、『an・an』の「好きな男ランキング」では連続で 1位を獲得していた。
明菜はトシちゃんより2年遅れてのデビューだけれど、あの頃、アイドル達は学校みたいに毎日のように顔を合わせていて共演も多かった。
二人の仲の良さは、1993年発売の明菜の写真集 『FIFTY OFF』 に掲載されているラジオでの対談を読むとよくわかる。
この対談は、明菜が ''最初のゲストはトシちゃんに…'' と直接電話でお願いして実現したもの。
田原「おまえなあ、ちょっとやせすぎだぜ。ちゃんと食べてるか」
明菜「エ~、人のこと言えないでしょ。」
田原「・・・何か、男と女っていう枠を超えて、友だち関係がつづいてるよな。」
明菜「こんなふうにつづいてるなんて、珍しいよね、トシちゃんの性格考えたら。」
田原「俺は飽き症なんで(笑)…(略)… 明菜は一途な女なんで、なんか放っとけないっていうか。陰ながらいつも心配してるんです。…(略)…たまぁに電話かかってきたり、かけたりして『一緒にごはんでも食べようね』って言ったりして。お互いに気になりながらここまで来たというね。いつも僕の片思いでしたから。アハハハハ!」
明菜「またー、すんごい嘘つき!」
明菜「私、トシちゃんとはホントにいい友だちでいられるんで、うれしい。芸能界ってけっして居心地のいいところじゃないから、気持ち的に安心する場所ってないのね。そういうところで、古くから親しくてくれてるトシちゃんは、ホントにね。…(略)…男とか女とかじゃなくて、人間としてイイ奴っていうね。芸能界にいると特に、そういう友だち関係って難しいし、雑誌はすぐにヘンな風に書くしね。だけどトシちゃんとのことは、マスコミもヘンな風に書くとか全然なくて、そこは助かってる。」
トシちゃんと明菜が心通じるものがあるのは、置かれた家庭環境から家計を助けるために芸能界に入ったという共通項が根底にあるからかもしれない。
順調に芸能界のトップ集団で走り続けていたトシちゃんだが、あの会見を機に状況が一変する。
J事務所からの独立が重なったのも不運だった。
ここからトシちゃんの不遇な時期はしばらく続く。
かなりの試練だったはずだが、トシちゃんはやけになったりはしなかった。
テレビには出れなくても、努力は怠らず、地道にコンサートやディナーショーを続けた。
離れていったファンもいたけれど、ついていったファンも多かった。
その地道な努力とファンの応援が報われて、今、トシちゃんは再評価されている。
今年還暦を迎えたというのに、変わらない体型、変わらないダンス、これこそ努力の賜物。
トーク番組であの時のことを聞かれたトシちゃんは、「しつこいマスコミに対してやってやろうという気持ちになったんじゃないか。でも人のせいにするんじゃなく、自分がああいう場面を作ってしまったことなので。」と答えた。
一度辛酸を嘗めたからこそ見えたことがあるのかもしれない。
トシちゃん
「会いたい人は?」の問いに「明菜に会いたい」と言ってくれてありがとう。
明菜のディナーショーにエールを送ってくれてありがとう。
人付き合いがヘタな明菜のことをいつも気にかけてくれて……本当にありがとう。