-秋本九一郎- 文学の方法論
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003-001

 提灯は静かにたおれてゆきました。


 だんだんと明るさが消えていき、漆黒がすこしずつ姿をあらわしてきたのです。私は胸倉をつかまれて首を絞められるような感覚を覚えました。どうしてでしょうか。いまでもその原因は分かりません。たぶん、何も見えない世界で何もすることができないというのは、こういうことなのでしょう。


 たおれてしまったそれに、わずかに灯った蝋燭の焔。その細々とした光さえも、八月のあたたかみを含んだ風が消していきました。とても静かに、たっぷりと時間をかけて。しばらくすると、どこにも光を見出すことは出来なくなってしまいました。


 多くの時間を経て、すべての焔が消えてゆきました。しかし、それでも私を照らしつづける焔が残っていたのです。張り詰めた弓を思わせる形をした月。私はそれを長いあいだ見ていたような気がします。他のものを見てみようと思わなかったわけではないのですが……。


 どれほど眼を見開いてみたところで、どれほど焦点をずらしてみたところで、それ以外に見ることの出来るものはなかったのです。何を見ればいいのかすら分からないし、当然そこに焦点を合わせることも出来ない。


 もしかしたらみるべきものは、本当はものすごく近くにあって、私はそれを見失っていただけなのかもしれません。
 

 私は誰かがいる場所へ行こうとしていました。誰かを求めていていたのです。


 そのときでした。何も見ることの出来なかった世界に新しい光が差し込んできたのは。漆黒だけが意味をもつはずだった世界で、氷のように冷たい光が眼を射ってゆきました。その光が照らしているのは私の眼だけではありません。光はゆるやかに移動を始めて、大地を這ってゆき、光が放たれた場所、元の塒とでもいうべき場所に戻っていったのです。


 電灯を持っているのは誰なのでしょう? と私が光の根元とでも言える場所を静かに捜し始めました。すると、急に明るい光が差し込み漆黒は純白へと塗り替えられてゆきました。


 この二つに共通しているのは、その二つのなかではなにひとつみることは出来ないということだけです。
 

 しばらくして、暗やみに目が慣れてきました。その中にぼんやりと浮かんでいたのは真紀でした。闇の中から光を見つけ出すことはかんたんにできるけれど、光の中から闇を見つけることはかんたんに出来ることではありませんでした。

 

 例によって真紀の姿は思うようには見えませんでした。久しぶりに見ることのできた真紀をしっかりと見ることができないということは私にとってとても残念なことでした。いつまでも真紀のことを見て、その小さな仕草までを逃してしまうことのないようにしっかりと見ていようと思いました。紺色の浴衣が風の中ではためく様子や、京人形を思わせる小作りな顔、その中に浮かぶ栗色の眼を認めることが出来たのです。それは間違いなく真紀でした。


 そのとき、私と真紀は二人でした。

 中学生時代に私は真紀とささやかな噂を流されたことがありました。この地方の雪のようにしばらくは消えないままに残ってしまった噂だったような記憶があります。


 そのころの僕にはいったい真紀のどこが魅力的なのかについてまったく分からなかったのです。まぁ、真紀は私がいちばんの軽蔑を抱く≪白痴美≫という言葉とは無縁でした。成績も良く、部活でも活躍していました。


 肺に弱味を抱えていた私は良く図書室にいました。そこからも真紀の活躍ぶりは伺うことはできました。的確な指示、すばやい動き。なにひとつとして真紀を否定するための材料はなかったし、否定しなかったからこそ噂はいつまでも残り続けたのです。


 そう、そのとき、私と真紀は二人でした。二年間のときを経て、気がついたことは二つだけあります。


 一つは、明確な価値観を持っている人間しかもっていない眼の輝きや、眉から鼻にかけての曲線美についてです。それこそが彼女の美しさなのだと、今になって気がつきました。


 しかし、私は真紀を好きになることは出来ないし、それは持つことさえ許されない感情である、とこういうふうに思っていました。事実として真紀は私の友人の恋人なのです。私は友人の恋人選びが賢明なものであったことを喜び、少しだけ嫉妬しました。


 もう一つ、気がついたことがあります。真紀は息のような小さな声を発し続けていました。その声は、小鳥が塒から静かに逃げていくような風景を私に連想させました。


「Haben Sie keinen Gesichtspunkt. Weiß nicht, wo er dazu geht.」

 真紀はそういっているように聞こえます。〔彼は視点というものを持たないし、どこにいけばいいのか、そんなことすらわからない〕まるで私のようだ、と思って肩をすくめて見たけれど、真紀の様子には変化はありません。真紀は私ではなくて、何か他のものを見ているのかもしれません。


 彼女が発している意味なんてこれといってないような音のかけらを拾い集めて、私が知っている少ない言葉に置き換えているだけなのかもしれなません。つまりは、空耳です。私はそう思うことにしました。


 結局のところ私にその意味など分かるはずも無いのです。にもかかわらず、その美しい声は私の心を捉えていくのです。

「なにを話そうとしているんです?」


 ため息でも吐くように静かに口に出してみました。その声は思いがけずはっきりとしたものになって、私としてもそれは小さな驚きでした。


 静かに話そうという私のたくらみはここで失敗を迎えてしまいました。そのことが致命的な失敗のようには私には思えましたし、会話がこれ以上続かないのではないだろうか、彼女はどこかへ行ってしまうのではないだろうかか、という予感さえ私に与えました。


 声は暗闇の中へと消えてゆきます。結局のところ、真紀からはどんな言葉すら聞くことは出来なませんでした。


 私は真紀に近づいていきます。真紀も私に近づいてきました。


 二人は存在することさえない二つの直線の交点を期待するように歩き出してゆきました。結果として、私たちはすれ違いました。交点など無かったのです。あたたかい風の中に香水の香りがただよい、私は真紀がどこか変わってしまったことを知りました。それはざらついた悲しい感触を伴うものでした。


 私が変わっていく過程を私自身が実感することは出来ません。しかし、それは他人を通して実感することができることに私は気がついたのです。

 
 真紀からは何も聞こえてきませんでした。私は真紀の言葉を待ちましたが、結局のところ私は彼女から何らかの言葉をひきだすことをあきらめることにしました。


 私たちはそれぞれ全く別の方向へと歩いてゆきます。それはとめることの出来ない流れです。

 きっと二人は浅瀬の流れが速すぎて、岩にせき止められた急流が二つに分かれるような悲劇に襲われたとしても、また下流でひとつになっていくように、また一つになることが出来るのではないだろうかと、私は根拠もなくそう思いました。


 私は誰かがいる方向へと脚をすすめていきます。振り返ってみると、そこに彼女はおらず、あの光すらありませんでした。

文学の方法論! いよいよ開設…!

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 夜明けはまだ来ない。本当に予定通りに電車は到着するのだろうか。
 

 車窓から覗く外の風景は平坦な暗やみである。そこには、夜空の深みもなければ、青空の開放感もない。当たり前のことだ。私たちは今、山原や海底を掘りぬいた場所にいるのだから。それは世界で一番長いかもしれない完全な暗やみである。
 

 完全な暗やみから抜けてもまだ、車窓から見える風景は光を帯びていない。ひたすらに続く原野の中で私は思索を深める。やがて、光が降り注ぎ、地が開けるのを待つように。


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 これが私の小説の書き出しです。

 この小説はもともと「ある人間の手記」という私が書いた小品をもとに書かれていて、私はその小説を基にして、なにか400枚ぐらいの軽い小説を書いてみたいとおもっていました。

 

 その小説においては主題を決めようとも思っていました。

 私はいままで小説に主題をつけたことがなかったのですが、どうしてもそれが必要になる、それが求められている作品だからと私は考えたのです。

 私は、もうすでに小説の中で、盛り込むべき要素を決めていました。

1)薬害について


 当初は、「薬害エイズ裁判記録」などを読んで、薬害エイズ事件について書こうとおもってましたが。しかし、それから実際にしらべて見たり、エイズ患者の人へヒアリングした事のある方に話をきいたりしたところ、あまりおすすめしないということでした。実際に実在する病気の場合において、人を傷つけることが往々にしてあるからです。


 小説の社会的・道義的責務とは社会悪を告発するとともに弱者に光を当てることです。しかし、そればかりではありません。柳美里氏の「石に泳ぐ魚」裁判や、三島由紀夫氏の「宴のあと」裁判を見れば著者本人からすれば正義のつもりでかいたものが、悪とされることも十分にあるわけです。


 小説家は残念なことに神になることはできません。

 であるからにして、私は架空の病名を使うという決断に踏み切りました。薬害の性質については、タミフルとインターフェロンをあわせたようなものにしようと思っています。


2)旧日本軍の戦争犯罪とその中で得られた医療技術について

 

 731部隊。

 そこは多くの医学者を生み出し、そしてまた多くの新薬を生み出してきた。

 その技術は戦後、部隊の幹部たちの特赦を条件に、アメリカに引き渡され、現在はその一部を(すべてとなっているがまさかすべて公開するわけはないだろう)アメリカの情報公開法に基づいて、国立公文書図書館から請求することができるとされている。

 実際に隊員となった人の証言によると、

 ある晩、高熱でうなされていると陸軍病院に運ばれ、黄色の透明な液体を注射されたという。すると、めきめきと熱が引いていってばかりではなく、なんでもすらすらと暗記できるようになるという思わぬ副作用すらもたらされたという。

 この話にどれほど信憑性があるのか定かではない。しかし、ひとつのファンタジーとしては面白い。

3)不法ファイル交換ソフトの蔓延について

 これについては、もう書くまでもないだろう。


 「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という社会主義的思想から、不法ファイル交換ソフトが生まれたという視点から見るとなかなか新しい世界がひらけて来る。

4)そこでファイルとともに取引されるスパイウェアについて

 スパイウェアによって、自衛隊の機密が漏れたという。


 それをもとに、どうにかして薬害や戦争犯罪の根源を探るというようなプログラムを作る。