(ネタバレあり)
ドラマは1019年(寛仁3年)から1020年(寛仁4年)の出来事になります。

刀伊の襲撃で周明(松下洸平)を敵の矢が貫きます。
(周明は本当に亡くなったのかどうかは不明。最終回にどっきりがあるかも?)
(刀伊の矢は日本の矢の2倍ほど飛んだとされ、苦戦を強いられたと言われていますが、鏑矢(かぶらや)という音を出しながら飛ぶ矢が敵に恐怖を与えたようで、敵は退却したとされています。)


隆家(竜星涼)は刀伊が壱岐を襲撃したことを都に知らせます。
頼道(渡邊圭祐)はこのことを道長に知らせませんが、実資(ロバート秋山)から知らせが行きます。
(隆家は4月7日と4月8日に報告書を送り、京都に届いたのは10日後、4月17日のこと。4月18日には報告を受けての陣定が開かれている。)
(「小右記」によると、勅符(軍事・外交など緊急を要することがら)でなかったので時間がかかったような記述があります)

陣定で、実資は守りを固めることを力説しますが、頼道も公卿たちも事の重大さを理解していません。
頼道も様子を見ることにします。
隆家は朝廷に褒賞を願い出ますが、陣定で拒否されます。
行成や公任など多くは褒賞は必要なしとします。実資は激怒します。
(隆家は11人の勲功者の名を連ねた注進状(報告書)を上げている。そのリストには隆家は入っておらず、トップに名が記されたのは平為賢だった。結果は恩賞を受けたのは1人だけで、戦闘で活躍した大蔵種材が壱岐守に叙任されている。)
公任は、道長にお前のために反対したと言う。
(「小右記」によると、道長は隆家の大宰権帥への就任を妨害していたとされる)
乙丸は猛烈に都に帰りたいと懇願します。
まひろは隆家と都に戻ってきます。
(隆家は任期を待たずして、大宰権帥を辞任して都に帰ってきます。)
(乙丸は60歳の設定だったとあさイチで言っていましたね。ということはドラマの初回放送時は17歳の設定ということですね)
(ドラマの第1回から43年経っているので、まひろも50歳くらいということです。ちょっと吉高由里子さん若すぎませんか?)
まひろは賢子(南沙良)から、「源氏の物語」の感想を聞きます。
(賢子はこのころには道長の次男頼宗、公任の長男定頼、源時中の七男朝任など多くの男と浮名を流しています)
その後、まひろは彰子(見上愛)にあいさつに行き、道長とも会います。

そこで倫子(黒木華)に呼ばれ、「殿とまひろさんはいつから?」と聞かれます。
【隆家の晩年の経歴(史実)】
長和元年(1012年)末 外傷により眼病を患い外出できなくなる。
大宰府に唐人の名医がいると聞き大宰権帥への任官を望む。
道長は大宰権帥への就任を妨害していたとされる(「小右記」による)。
長和3年(1014年)11月 三条天皇の強い希望によりようやく大宰権帥に任ぜらる。
寛仁3年(1019年)3月末~4月 刀伊の入寇が発生。
寛仁3年(1019年)12月に大宰権帥を辞して帰京(後任は藤原行成)
治安3年(1023年)12月次男の藤原経輔を右中弁に昇任させる代わりに中納言を辞退する。
長暦元年(1037年)藤原実成に代わって再度大宰権帥に任ぜられ、長久3年(1042年)までこれを務めた。
長久5年(1044年)1月1日、薨去。享年66。
国府の任期は通常4年であるが、九州だけは5年とされていた。
「光る君へ」の時代を考察する(第四十六回「刀伊の入寇」)
