「なんでもいいからささやかなことから」とか
「なんでもいいから関心のあるはじっこの旗を引っ張ってみよう」とか
「少しずつ少しずつ」ってお話をここんとこ書いてきていたのですが、
えっと、私の場合のことを書かせてくださいね^^
私は今から10年くらい前に心理学・カウンセリングにふれて、
カウンセリングを受けることで今まで知らなかったことを知り
(潜在意識は96%を占めていて、とか。潜在意識の願望どおりに現実はなっている、とか。ってことは、「うまくいってない」って自分では思っているけれども、私の潜在意識としては願望はすべて叶っている、、、ってことは現状はすべて自分の願望そのもの、なんやそれ?!ってこととか、その他もろもろのことを。ね)
で、
自分もカウセンラーになりたいと思い、
それを学び、
でも、
カウンセラーとしてお仕事をはじめてゆく勇気はすぐにはなくって、、、;
もっと知識・スキルをつけたいと思い(要は、自信がなくって不安だったのね^^;)
そのときに「お名前の鑑定」というものに出会ったんです。
※「お名前の鑑定」とは、『名前から持って生まれた才能が分かる』という感じのものです。
そして、まずはその「お名前の鑑定」からはじめたんですよ。
もちろん、
名前の意味が分かることで自分自身が後押しをしてもらえて
「これ、いい!」
そう思えたことが一番大きな理由なんですけどね。
でも、カウンセラーよりは敷居が低かった。
そういった気持ちが確かにありました。
この「敷居が低い」っていうのは
「受けてくださる側にとっての敷居」も低いし、
それに「はじめる側(私、ですね)にとっての敷居」も
どちらも低かったです。
それをはじめることで、
ブログやメルマガなんかにも手を出して、
「書いて伝える」ってことをはじめたんです。
そういうなんやかんやをやってゆくうちに
「あぁ、私、書くこと好きだった」
「でも、書くの好きな人なんてけっこういるし、その人たちのほとんどがそんなのでは食べてはゆけないし、だからそんなの好きでも仕方がないよなぁ、、、ってずっとずっと早くに思って、それでチャレンジさえせずにきてしまったんだ」
・・・って、そのことに気づいたんです。
それに気づいたのは、
カウンセリングを学びはじめたときから
もう数年以上(たぶん5年以上)は経っていました。
なんていうか、
自分のなかのど真ん中にありすぎて
自分でも気づいていなかったというか、、、
そのくらいに、
小さな旗を引っ張り続ける必要があったってことなんだろうなぁ、って思います。
+ + +
でね、これにはメリットがあるんですよ。
(これっていうのは、「万国旗を少しずつ少しずつ引っ張るように、徐々に近づいてゆくこと」ね)
それは、
「気づけたときには、もうそこそこやっていたので、すんなりと受け入れられた」
ってこと。
だから、
「したいとは思っても、実際にはなかなかできないから、やっぱり私には無理だ。むずかしい。夢なんてもっても仕方がないよ。。。」
なーんて、投げやりな方向を向いてしまって、チャレンジする前からあきらめる、、、ってことにならずに済んだってことなんです。
そして、
「気づけたときには、もう他のことをそこそこやっていたので、次への行動もすんなりとはじめられた」
このオマケ(笑)は大きいです!
「慣性の法則」みたいに、すーっと動けるんですよね。
だからこそ、少しずつでも近づいていってほしい、って
すごく思うんです。
今、やりたいことが自分ではピンときていないあなたにも、それは必ずあります。
そうして、それは、
適切な順番であなたの前におずおずとあらわれることができる日を
心待ちにしているはずです。
だからね、どうか、
「“これ!”って思えるものじゃないとする気にならない」なんて思わないで、
「これかどうか分からないから、あんまりやる気でないなぁ」なんて思わないで、
いま少しでもほんの少しでもほんの少しのかけらのかけらでも
「これならやってみたいと思えるかなぁ」
そう思える何かにチャレンジしてみてほしいんです。
千里の道への一歩はそれ。
そして、
もう一つ付け加えるならば、
千里の道は泥臭くすすんでゆくしかありません。
ささっと時短なやり方はなくってね、
うまい効率のいい方法もないし、
都合のいい抜け道もない。
ただ、
泥臭くはあるけれども、
一歩ずつしっかりと歩を進めたら
確実に前へとすすんでゆける道でもある。
そう、
やった分だけ、ちゃんと返ってくる世界なんです。
(それ、いいよね!)
投げたものも返ってくるし、
返ってきたものから、
自分がどんなものを投げたのか
どんな濃ゆさのものだったか
はたまたちゃんと投げられていたのか、、、なんかを確認することもできる。
(ちゃんと投げられていなかった、、、orz と落ち込むときもあるかもだけどね;)
+ + +
泥臭いのって、メンドウそうに思える?
でもね、
その泥臭さが気にならないやり方があるからね。
それは、
千里の道への一歩一歩のそれぞれが
ほんとうに自分が好きなことである、ということ。
それなら、
たどり着いた先だけが「よろこび」なのではなく、
その道のり自体がもう自分にとっての「よろこび」になる。
向かう時点でもう「よろこび」なのであれば、
その一歩一歩がどれだけ泥臭かろうが
もうそんなこと気にもならないよね。
「本当に好きなことじゃなきゃダメだよ」といわれる所以はそれです。