私達が敢えて作り出したもの | 藤田新 

私達が敢えて作り出したもの

マッシュアップで思い付いたアイデアが消えてしまいました。


何が刺激を感じるとそこから派生してくるアイデアがありますが、いつも美しいものを作る必要が無かった私達が敢えて作ったものを想い続けています。
 

 

 

 

 



最近何かの展覧会を見たのではなく、漠然と思うのですが、
日本には「金箔」を使った美術品と呼ばれるものが沢山あります。

 

豪華さの演出という意味があるかも知れませんが、ふと、金箔が光を反射する姿が、「鏡」から来ているのではないか・・・という想いがしました。

 

 

 

 

 


対象を映し出すことで存在する鏡は、自らのアイデンティティーが無い存在のように見えます。

「他律的」と言われる私達そのものです。

そして「御神体」として神社に奉り続けられて来たものです。

 

 

 

 

 

「日ノ本」は中華を映し出し、明治から、帝国主義からやがて民主主義を映し出しいるだけで鏡としての私達は変化することはありません。


ただ、真の「共生」は「鏡」のように、主体性のようなものが必要ない立場の場所にしか存在しないように思えます。