今日は家内と、筑後川沿いの堤防道路を通って、家から47Km、久留米大学病院へ行った。

 

40歳代後半に、3回入院・脳手術をした大学病院である。3回目の手術の後、放射線治療を受けて、以後入院は無いが、

その後しばらく、毎月通院。やがて、3ヶ月毎の通院を、一昨年まで続けていた。

通い慣れた、筑後平野と耳納連山、筑紫次郎に心を癒やされた道路でもある。

 

昔に比べると、狭いところは拡張され、センターラインや両脇ラインも表示され、運転しやすくなっている。

ところどころ道路脇に、背丈ほどの夏草が生い茂っている。

先日まで、雨が多かったこともあり、川にはたっぷりの澄んだ水があり、緩やかにとうとうと流れている。

 

福岡市の中学校の教員をしている長男が、夏休みが始まると同時に、久留米大学病院に入院。

そして先日、私と同じ脳外科で、左側頭葉腫瘍の手術をした。

朝8時半に、手術室へ入って行くのを見送り、家内と嫁と私と家族控え室で待機。

手術が終わったのは、夜中の11時半だった。

 

手術の夜には、頭部全体に包帯をしていたので、分からなかったが、

今日は、切り開いた手術の痕が、大きく生々しく、とても痛々しかった。

やがて福岡から、嫁が三人の孫を連れて来た。

例年に無く長々と続いた梅雨が、24日やっと明けた。

と、途端に、毎日猛暑日が続いている。

ちょっと外出すれば、汗だくだく。日に三回もシャワー浴びて、着替えしている。

 

今日明日は、地元日田の祇園祭である。300年だとか。

市内8町内に、それぞれ個性ある祇園山鉾があり、武者人形などが飾り付けられて、その勇姿を競っている。

その8基とは別に、もう一基、平成山鉾がある。高さ12メートルの特大の山鉾は、ハワイやパリにも駆り出された。

 

私の近くに、城内祇園社・八坂神社がある。市内でも古く、室町時代の創設である。

今夕は接待があり、招待状を貰っているので、行くことにしている。

馴染みと、酒を酌み交わす、久々の機会である。

昨年は、七合か八合ほど飲んで、帰ろうとして躓いて転けてしまった。

今日は、三合ほどで、止めておこう。

「なんみょうほうれんげーきょう、なんみょうほうれんげーきょう、
なんみょうほうれんげーきょう、………」
もう、異様な空気になってしまった。
祭壇の前に座っている導師ひとりかと、思っていたら、
いつの間にか、たくさんの人たちが、そのお題目を唱えている。
会場の天井からも壁からも、それは聞こえてくるようだ。

家の斜め前の会社の会長さんの葬儀が、昨日執り行われた。
隣保班では、各家庭から二人づつ出て、お手伝いをする。
10時に斎場からマイクロバスが、迎えに来た。
私は少し遅れて、自分の車で、斎場に行った。
二段飾りの生花が30脚、舞い散る雪を受けながら、並んでいた。
まず祭壇を拝み、遺族に挨拶して、お斎になおった。
班の男は、受付を担当する。
親族・一般客と会社関係とに分けて、記帳してもらう。
頂いた香典を保管見張り番するのは、最年少の私の役目である。

やがて、葬儀が始まった。
普通の葬儀は、導師に法中、合わせて僧侶2~3人。多くて、7,8人。
ところが今日は、導師ひとりだけ。
導師はまず、祭壇の個人の笑顔の写真の上に、
「南妙法蓮華経」と書かれた掛け軸をかける。
その時、前の方の人達から、「なんみょうほうれんげーきょう、
なんみょうほうれんげーきょう」のお題目が始まった。
導師は座って読経を始めた。「観音経」のようだ。

焼香は、喪主だけは名を呼ばれたが、後は前列から順に、
静かに焼香をした。15分とはかからなかった。
それから「なんみょうほうれんげーきょう、なんみょうほうれんげーきょう、
なんみょうほうれんげーきょう」の唱和が延々と続いた。
私は受付に座ったまま、香典袋を2袋見守りながら、
不謹慎にも、ついうとうとしてしまった。

隣の人が、「こりゃ学会だね」と呟いた。
そう言えば、導師はどうもお寺の僧侶には見えない。