「おまん、誰じゃ?」 | Aki-r-sのブログ

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思いついたことをつれづれなるままに。

 

 

 

「らんまん」最終回、最後の

 

万太郎のせりふ。

 

これ、「初めまして」な植物に

 

出会った万太郎が目をキラキラ

 

させながら語りかけてる、という

 

シーンでありますが、まさにその時

 

テレビの前にいて、その画面を

 

見つめている人に向けてのセリフ

 

でもあったのではないかと

 

思えて。

 

「雑草という草はない」=「全ての

 

草に名前がある」というのは

 

わたしたち一人一人にも当てはまる

 

のではないか、と。

 

みんながそれぞれに名前を持っていて、

 

一人の人間として尊重されるべき

 

存在で、「そこにいること」には

 

ちゃんと意味があるんだよ、

 

そこにいていいんだよ、と

 

存在を優しく温かく肯定してくれて

 

いるような…

 

 

こういう考えが浮かんだのは

 

「らんまん」の登場人物たち

 

一人一人が画面に映っていない

 

ときもしっかり「らんまん」の

 

世界に存在していて、自分たちの

 

日々の暮らしを送っていると

 

思える描かれ方をしていたから

 

かもしれません。

 

しばらく出てきていない人が

 

時間を経て登場するときは

 

経てきた時間が確かにあった

 

ことが伝わってきてた。

 

なんて言うんでしょうか、

 

「奥行きがある」というのか、

 

「見えていないところにも

 

人々の営みがある」と信じられると

 

言うか…

 

出ている誰を取り上げても

 

スピンオフドラマできるんじゃ

 

ないかと感じられる、こんな

 

ドラマはめったにないのでは。

 

(…と、偉そうなこと言えるほど

 

朝ドラ見てないけどf(^^;☆)

 

最近会えてない「朝ドラ・大河

 

ウォッチャー」の友だち、どうしてる

 

かなぁ。次に会ったら「らんまん」の

 

話、しようね。