小さい頃からビーチ・ボーイズが隣にいた。
一番最初にビーチ・ボーイズの名前を認識したのは中学1年の頃。
友達から借りた『アメリカン・グラフィティ』と
『ゴールデン・サマー』のテープ。
ビーチ・ボーイズはどこかで聞いた事があってスッと身体に入ってきた。
小学生の頃から洋楽を自分から率先して聞いていた訳ではないが、
親戚や隣のお兄ちゃんや海外TV NEWSから流れてくるビートルズとか
TOTOとかシカゴとか耳に入ってきた曲を聞いていた。
多分そんな中で自然とビーチ・ボーイズも聴いていたんだろう。
『アメリカン・グラフィティ』のビーチ・ボーイズがすっと身体に入ってきた。
そしてすぐ友達にベスト オブ ビーチ・ボーイズを録音してもらった。
その時点で、サーフとかジャンルの事はよくわからなかったが、
コーラスの旋律がなんか沖縄っぽいなぁ、とか『ハワイ』って言葉や、
『ワイキキ』っていう言葉がなんか当時12歳の僕には独特な雰囲気に響いた。
まさにブラック・キャッツの『ランデブー』とか『ヴィヴィアン』とか
『シンガポール』みたいな、山崎社長がチョイスした
独特な世界観が僕に新しいロカビリーの感覚を植え込んだみたいに
僕の中にビーチ・ボーイズという独特な世界観が構築されていった。
僕は北海道の海の見える街に住んでいたから
カーステレオでいつもビーチ・ボーイズを流した。
夏のキラキラした海には『Sufin' U.S.A.』や『I Get Around』
夕方の海には『Girls On the Beach』や『The Warmth Of The Sun』が
景色に溶け込んで、夏の季節に感じるワクワクや
夏の夕方の寂しさみたいな感覚を助長してくれた。
そして18歳、札幌に出た僕はバイト先のお店でビーチ・ボーイズをかけていたら
後にthe pillowsを結成するピーさんと
当時『ペルシャ』というバンドを一緒にやっていた徳光店長が
『ビーチ・ボーイズってこんな明るい曲だけじゃないんだよ』と教えてくれた。
そして聞かせてもらったのが『ペット・サウンズ』だった。
18歳の当時の僕にはあまりピンと来なかった。
暗いアルバムだなぁ、という印象しかなかった。
それがとても心に響き始めたのが25歳くらいの頃かなぁ。
ビーチボーイズの本、ブライアン・ウィルソンの本を読み漁った時期。
ここで知るビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンの確執、
ビートルズとのチャート競争に負けドラッグに溺れて
ペット・サウンズならぬ、ベット・サウンズになってしまった事、
父親との確執、弟デニスの死、
どれも暗くて、ドロドロな内容の話しだったけど、
僕にはとっても心に響いた。
僕は『ロックンロール』という明るくて攻撃的な音楽を好みながら、
どこかに内省的な自分を常に持っていた。
弱い自分を隠しながら生きようとする自分が、
ダメな自分を曝け出しているブライアン・ウィルソンに
とても驚き、とても身近に感じた。
記録では負けたけど、記憶に残る人。
人間っぽいな、と思った。
だからソロも好きだ。
1999年に来日した時は見にいった。
動くブライン・ウィルソンを見れただけで感動した。
そこにいるだけで良かった。
ブライアンが再現した『Smile』も好きだ。
これがあの当時完成していたらどんな事になっていたんだろうと
何度も夢想した。
そして最近でたこのピアノのアルバムも好きだ。
2012年に33年振りに来日したビーチ・ボーイズも
千葉幕張QVCフィールドに見にいった。興奮した。
カールとデニスはいないけど、最高のビーチ・ボーイズだった。
僕は2017年から自分のソロ活動はAKIRA WILSONと名乗っている。
2023年からAKIRA WILSONとして初のコーラスグループ、
Three Taller Hatsに参加している。
『Do You Wanna Dance ?』と『I Get Around』と『Wouldn't It Be Nice』
をカバーしてる。やっとビーチ・ボーイズを共有出来る仲間ができた。
そんな僕からブライアンに手紙を送ります。
『ダメな僕』
ブライアン、あなたの音楽に影響を受けて
天国から引っ張ってきたようなあなたの旋律に憧れてきました。
そしてビートルズとの競争に敗れて、
ビーチ・ボーイズと仲違いして、
失速したあなたを知って僕は益々あなたの事を好きになりました。
僕も『ダメな僕』を沢山持ってます。
でもそのダメな僕の美しいところにあなたは気付いていて
それを惜しみなく作品にしてきた。
僕もそれを目指します。
沢山の素敵な音楽沢山のダメな僕を教えてくれてありがとう。
そして僕からこの曲をあなたに捧げたい。
Three Taller Hatsを結成する前に録音していた一人アカペラ。
Hushabye
R.I.P. Brian Wilson