烈車戦隊トッキュウジャーについて | 北条明の世界

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烈車戦隊トッキュウジャー

 
「烈車戦隊トッキュウジャー」が、終了した。
スーパー戦隊シリーズ、第38作品である。
個人的に、「シンケンジャー」以来、久しぶりに主人公たちに感情移入できた作品だった。

自分は、基本的に、重い話の方が好きなので、主人公は、宿命とか運命とかを背負っていて、そのことで悩んだり、振り回されたりする方が魅力を感じる。
ライトたちは、最初、チケット君から「既に死んでいるも同然」と言われ、過去の記憶もない。
その後、彼らが住んでいた町は闇に呑まれており、ライトたちは、実は、子どもで、総裁によって成人化されたことが判明する。
最終回に向けて、町を取り戻せるのは、たぶんそうなるだろうと思いつつも、子どもに戻れるのか、大人のままの姿から戻れないのか、それを気にしながら、ずっと見ていた。

5人とも同じ宿命を負っているのだが、うまく描き分けられていて、それぞれの特徴がよく出ていたと思う。
その分、他のシリーズに比べて、6番目の戦士、6号がやや個性が弱かった感じはある。
そして、実は、子どもだったという点で、今回は、自分の中に、悲惨な結末よりも親に会わせてあげたいという思いもあり、最終回で、子どもに戻れて、本当によかったと思った。

メインライターの小林靖子氏の作品では、時間というものに縛られた「タイムレンジャー」と、影武者の宿命を帯びたレッドを描いた「シンケンジャー」が好きである。
「ゴーバスターズ」は、結局、亜空間に捕らえられた自分の親を救うというのが最終目的にならなかったのは、意外性はあったけれど、個人的には、そうでない方がよかった。
「ギンガマン」は、主人公たちが達観している感があって、あまり感情移入できなかった。
ただ、「仮面ライダーシリーズ」も含めて、よく考えられた脚本だといつも感じている。

悪側も、闇の皇帝ゼットが強敵で、しかも魅力あるキャラになっていた。
やはり、敵は強い方が、戦いの過酷さを感じられる。
グリッタも、存在感があった。

個人的に、命あるメカっぽいのより、完全にただのメカの方が好きなので、ロボットもよかったし、等身大戦では、「乗り換え」で色が変わるというのが新鮮だった。
ただ、チケット君の正体は何だったのかとか、総裁の素顔を見たかったという思いはある。
総裁は、被り物がうさぎ(=ラビット)で、絶対に車掌の関根勤氏が二役をやると思っていたので、素顔が出なかったのは残念だったし、今後、そうなって欲しい気がする。
もっとも、それだと、オーナーと駅長が同じ顔という「電王」と同じになってしまうというのもあるが。

話が逸れてしまうけれど、基本的に、動物顔のキャラって、銀河警察や宇宙警察といった宇宙の警察組織のものだと思っているので(「シャイダー」のキッツやウル、「デカレンジャー」のドギーやヌマ・O長官など)、「ゲキレンジャー」は、「獣獣全身変」で動物の姿になったという説明があったため、まだ受け入れられたが、今回は、若干違和感を感じていた。
ただ、関根氏との兼ね合いならしかたないかと思っていたので、やっぱり、素顔は、関根氏の二役が見たかった。

この4年間くらい、子どもが大きくなったこともあって、映画は見に行っていない。
「トッキュウジャー」も、結局、映画は全然見ていない。
いつか、DVDで、まだ知らないライトたちを見たいと思っている。

テレビシリーズのいいところは、一年間など、その放映期間、ずっと視聴することで、その登場人物の体験を、自分も追体験できるところだと思う。
その意味で、映画よりもより深く、そのキャラに思い入れを持てる気がする。
思い入れを持てるという点で、3か月というのは短い感じがするから、一年、そのドラマを見られるというのは、今の時代、貴重である。
「トッキュウジャー」でも、番組が終了した今、ライトたちは、自分にとって、忘れられない、かけがえのないキャラクターになっている。