舟木一夫~2024年コンサート曲⑨

哀愁の夜

~“恋愛三部作”の最高傑作~

―「川は流れる」の仲宗根美樹さん亡くなる―

 

哀愁の夜[EPレコード 7inch]

 

 本題に入る前に「お詫び」―。1日に⑪西郷輝彦「初恋によろしく」を一時的に誤って投稿してしまったようです。大変失礼いたしました。次回は3日に⑩西郷輝彦「君だけを」を掲載する予定です。よろしくお願いします。akira

 

◇   

 

 舟木一夫さんが2024年通常コンサートの9曲目に選んだのは、1966年2月にリリースした「哀愁の夜」(作詞・古野哲哉、作曲・戸塚三博)でした。音楽関係のブログを書いている方の多くが参考にしているという「遊星王子の青春歌謡つれづれ」が「北国の街」と「東京は恋する」、そして今回の「哀愁の夜」を“恋愛三部作”として、極めて的確な分析をされていますので、引用させていただきたいと思います。

 

北国の街 [EPレコード 7inch]

 

東京は恋する (クラシックCD付)

 

 遊星王子さんによりますと、この3曲の設定や詩想が良く似ているとして、①空には星②街には灯り③別れがたさと愛情の継続の確認―の3点を挙げています。

 

 ①空には星

 

  ♪眺めていたいひとつ星    

「北国の街」

  ♪見上げる夜のオリオン星座

「東京は恋する」

  ♪星はきらめく瞳はうるむ   

「哀愁の夜」

 

 

 ②街には灯り

 

  ♪夜風に揺れる灯りがうるむ  

「北国の街」

  ♪ネオンがつつむターミナル  

「東京は恋する」

  ♪ああ街の灯はやさしく燃えて 

「哀愁の夜」

 

 ③別れがたさと愛情の継続の確認

 

      ♪たとえ別れがあろうとも/

心はいつも変わらぬと   

「北国の街」

 

  ♪手をふる別れつらいけど/

明日もここでまた逢える  

「東京は恋する」

 

  ♪たとえ別れは辛くとも/

想うこころは変わりはしない 

「哀愁の夜」

 

 「北国の街」(1965年3月)と「東京は恋する」(同年4月)は丘灯至夫さんの作詞、古野さんはこの2曲を受けて“恋愛三部作”を完結させたという言い方も出来そうです。

 

 舟木さんは「哀愁の夜」について、「この歌をもらった時、自分はこういう歌が好きなんだと思った。メロディーラインが流行歌の構造になっていて、色気がある」と話しています。舟木さんは“好き”が高じて、古野さんの3番までの歌詞に加えて、自ら4番、5番も作詞しています。この歌は、舟木さんだけでなく舟友さんの人気投票でも常に1位か2位になっています。

 

<4番>

 

    窓に もたれて 祈るように  

    今日も 呟く 寂しい心    

    あゝ あの人も 一人の夜は  

    僕と 二人頃を        

    想い出してくれるだろうか

 

 

<5番>

 

    若さ まかせに 春は往き

    交わす瞳に 別れが 揺れた

    あゝ この歌は 二人の恋を

    今も 優しく 強く

    抱いて はるかに輝く星よ

    君と 見上げた あの星空よ

 

 

 この歌はイントロ部分の舟木さんの口笛が、会場のお客さんを一気に舟木ワールドに連れて行ってくれます。とりわけ調子のいい時の舟木さんの口笛の響きはたまりませんね。

 

 

 この歌も翌月27日に「哀愁の夜」(西河克己監督)として日活で映画化されています。舟木さんは「これまでの路線を変え、スーツにネクタイ、タキシードという世界観を確立させたかった」ため、初めて組む西河監督に「今の髪型を変えたいので、髪を伸ばしてやれる役を設定してくれませんか」と申し出ました。西河監督は直前に日活幹部から「舟木は将来性がある。ウチで押さえたいので上手く撮ってほしい」と言われたばかりで、“渡りに舟木”というグッドタイミングでした。

 

西河克己監督

 

 

日活データーベースより(中央は山本陽子さん)

 

 

 

OLD TOKYO 1960s-1970s 【1960-70 年代の東京】 ♪ 上を向いて歩こう ♪ ♪ Sukiyaki ♪

 

 

「川は流れる」の仲宗根美樹さん亡くなる

 

 

 「川は流れる」などで知られる歌手の仲宗根美樹さんが24日午後0時5分、肺がんのため都内の病院で亡くなりました。79歳でした。27日に通夜、28日に告別式を行ったということです。お別れの会については検討されています。

 

 仲宗根さんは1944年6月23日、沖縄県出身の両親のもとに生まれ、東京で育ちました。舟木さんと同い年です。1961年に日本テレビ系の「東京物語」に出演し、同番組の挿入歌「愛に生きる」で歌手デビューしました。

 

川は流れる

 

 2枚目のシングル「川は流れる」が100万枚を超える大ヒットとなり、第3回日本レコード大賞の新人激励賞を受賞。同曲で翌年の第13回NHK紅白歌合戦に初出場しました。紅白歌合戦には計5回出場しています。歌手としては舟木さんの2年先輩です。

 

 

 1971年に結婚のために芸能界を引退。その後は実業家としての道を歩み、自らが経営する東京・銀座のクラブのママとしても有名でした。1998年にテレビ東京系の「年忘れにっぽんの歌」で25年ぶりに歌手復帰していました。

 

 2022年ごろから肺気腫を患い、在宅で療養。今月20日に敗疾患発作で病院に緊急搬送され、24日に亡くなりました。

 

 1961年9月にリリースされた「川は流れる」(作詞・横井弘、作編曲・桜田誠一)は舟木さんも大好きな歌で、しばしばステージなどで歌っていました。この歌は当初、「雨の花園」のB面でしたが、歌声喫茶を中心に「川は流れる」の人気が高まったため、A面とB面を入れ替えて11月に再発売されています。

 

 ♪病葉を 今日も浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて 哀しみに 染まる瞳に 黄昏の 水のまぶしさ…「病葉(わくらば)」という聞き慣れない言葉で始まるこの歌は、横井弘さんならではの作詞です。舟木さんが大好きなのも分かりますね。

 

   ご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

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☆青春賛歌 目次【2】2023年1月~

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