かく言う「私」の留学動機 | パリと音楽と大学と

パリと音楽と大学と

パリにて声楽、シャンソンを指導。パリの音楽学校在学中より、フランス各地・ヨーロッパで様々なコンサートを経験。フランス国家公認声楽講師資格。アラフィフの物語を振り返るつもりです。

いろいろ書きながら、年とったか~、と呟きます。

そりゃあ日本にいたら進学指導や留学させる立場、大学の先生でもありうるのですから。高校で教えていただけに、彼らの姿が今も若今までちらつきます。


さて私の留学の動機。

日本でどれだけ「勉強」しても「おあそび」扱いされるのは嫌でした。音大が終わったら離れる人もいたけれど、「教えながら好きな舞台を続ける」人と交流をもって、体力の限界までいき、たおれてしまう人も見ました。


アメリカ短期留学で、

「これがこの国では仕事になる」

と知った大ショック。

実際にはアメリカもセミプロだったりで、日本と似たようなところもあるようですが、これは私にとっての大きな推進力となりました。


日本ではカチンコチンで演技に向いてなかった私。でもジュリアードへ行きたい、とこの頃思いました。

「留学の」で調べると、高い・・・そしてやっぱりレベルが心配で受かる自信はナシ。


じゃあ貯金するか・・・社会勉強にもなるし、と仕事を続け、貯金したためレッスンはないがしろ。(声楽的な基礎レベルは、この3年間で落ちたと思います。)とはいえ、この貯金は、パリを含むヨーロッパ旅行と、数日の講習会の費用になりました。


同時進行で古楽が好きになり、特に「フランスの古楽」を学びたくなりました。


ヨーロッパへ行ってみた→古楽がさかんなのはオランダだが、フランス語ものをやりたいので仕方がない。オランダなら英語でレッスンが受けられる可能性が高いが、フランスものをやりたいのなら、そんな回り道をしても仕方ない。


など「具体的」に「選択の余地なし」となったのです。

この間に、アメリカもオランダも、なんというかまあ、それなりに反対されています。反対されて、パリしか選ぶところがなくなっちゃった。



結論から言えば「選択の余地」という意味では、パリは柔軟でした。

日本語だけでも生きていけるくらい柔軟です。



だからこそ、

パリ留学はむつかしいのかもしれません。



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パリは 

汚ないので二度と来ない




と誓ったはずなのにあせる