いろいろ書きながら、年とったか~、と呟きます。
そりゃあ日本にいたら進学指導や留学させる立場、大学の先生でもありうるのですから。高校で教えていただけに、彼らの姿が今も若今までちらつきます。
さて私の留学の動機。
日本でどれだけ「勉強」しても「おあそび」扱いされるのは嫌でした。音大が終わったら離れる人もいたけれど、「教えながら好きな舞台を続ける」人と交流をもって、体力の限界までいき、たおれてしまう人も見ました。
アメリカ短期留学で、
「これがこの国では仕事になる」
と知った大ショック。
実際にはアメリカもセミプロだったりで、日本と似たようなところもあるようですが、これは私にとっての大きな推進力となりました。
日本ではカチンコチンで演技に向いてなかった私。でもジュリアードへ行きたい、とこの頃思いました。
「留学の本」で調べると、高い・・・そしてやっぱりレベルが心配で受かる自信はナシ。
じゃあ貯金するか・・・社会勉強にもなるし、と仕事を続け、貯金したためレッスンはないがしろ。(声楽的な基礎レベルは、この3年間で落ちたと思います。)とはいえ、この貯金は、パリを含むヨーロッパ旅行と、数日の講習会の費用になりました。
同時進行で古楽が好きになり、特に「フランスの古楽」を学びたくなりました。
ヨーロッパへ行ってみた→古楽がさかんなのはオランダだが、フランス語ものをやりたいので仕方がない。オランダなら英語でレッスンが受けられる可能性が高いが、フランスものをやりたいのなら、そんな回り道をしても仕方ない。
など「具体的」に「選択の余地なし」となったのです。
この間に、アメリカもオランダも、なんというかまあ、それなりに反対されています。反対されて、パリしか選ぶところがなくなっちゃった。
結論から言えば「選択の余地」という意味では、パリは柔軟でした。
日本語だけでも生きていけるくらい柔軟です。
だからこそ、
パリ留学はむつかしいのかもしれません。
パリは
汚ないので二度と来ない
と誓ったはずなのに