Vol.947-3/4 R巻頭-59。歴史(観て歩き)レポ-中讃編34<田尾古墳・沙弥/瀬居島> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.947-2/4に続けてご覧ください。

 

さぬき歴史(き)フォトレポ-中讃:34<田尾茶臼山古墳沙弥島/島>

<45.田尾茶臼山古墳> <撮影:2017.09.24>

田尾茶臼山(たおちゃうすやま)古墳の墳丘は鍵穴のような形をした日本独特な形式で前方後円墳と呼ばれている。

墳丘の規模は、三段構築された後円部の径38.2m、高さ5.5mで、前方部の最大幅は32.9m、高さ5mを測り、墳丘全長は76.5mとなっていて、円筒埴輪などが採取されており墳丘には埴輪の配列がされていた。葺石が墳丘に施されていたとみられている。後円部頂にある埋葬施設は刳抜式石棺で埋葬されていた。古代においてこの讃岐地域は双方中円墳が数多く作られた特異な文化圏が営まれていた。この古墳の築造は古墳時代の中期と推定されている。

この田尾茶臼山古墳は昭和46年4月30日香川県の史跡に指定された。          (日本観光振興協会)

 

<所在地・外観>

田尾茶臼山古墳-坂出市八幡町2612~2614/綾歌郡宇多津町茶臼山2944

▼親鸞上人二十四輩、田尾茶臼山古墳-内海交通にかかわった首長の墓、県内最大級の前方後円墳

 

 

県道33号線を坂出市内から丸亀方面に向かうと、まもなく坂出市と宇多津町の境を通過する。

その境界は峠になっていて、峠のことを讃岐では「たお」と云う。

 

▼県道33号線を進む-1

 

▼県道33号線を進む-2、瀬戸中央自動車道を潜る

 

▼県道33号線を進む-3、宇多津町へ入る

 

 

<概 要>

北から聖通寺山(しょうつうじやま)・茶臼山・角山(つのやま)が連なって、坂出市と宇多津町、古代に遡れば阿野(あや)郡と鵜足(うたり)郡を分けていたが、現在は県道33号線が峠を越えて両者を結んでいる。

 

▼聖通寺山~角山

 

 

県道33号線を西に進んで、坂出市から宇多津に入ると直ぐ左折して細い道に入る。

 

▼田尾茶臼山古墳へ-1、親鸞聖人-二十四輩御霊場石碑の角を左折

 

 

約60m南へ進むと、道の左側の崖下に「史跡田尾茶臼山古墳」の説明板がある。

 

▼田尾茶臼山古墳へ-2、説明板

 

 

<歴史遺産>

説明板の地点から約180m山道を上がって行く。

 

▼田尾茶臼山古墳-登り口、山道:1

 

▼田尾茶臼山古墳-山道:2、53尊の石地蔵-1

 

 

墳丘までの途中に、1922(大正11)年に設置された「親鸞上人二十四輩(にじゅうよはい)の写し霊場石碑」が立っている。

 

▼53尊の石地蔵-2、親鸞聖人の像など

 

▼南無阿彌陀佛-七高祖-石碑、親鸞聖人の石像

▼田尾茶臼山古墳-山道:3

 

▼巨石-小生の帽子と比較を

 

▼史跡境界の石柱、田尾茶臼山古墳-山道:4

 

▼田尾茶臼山古墳-山道:5、山頂の縁の様子

 

▼田尾茶臼山古墳-山頂の様子:1

 

 

茶臼山頂上(53m)に古墳時代前期の前方後円墳「田尾茶臼山古墳」(県史跡)がある。

全長約79m、後円部の高さ約8mと、坂出地域では最大級の古墳であるが、未発掘のため詳細は不明である。立地上からは、瀬戸内海海上交通に深く関わった首長の墳墓と考えられている。

 

▼田尾茶臼山古墳-山頂の様子:2、壊れた鳥居

 

 

似た立地条件にある、さぬき市津田の岩崎山4号墳などとの関連が課題となろう。

<文は現地説明板やWebなどより引用した>

 

引き続き、Vol.947-4/4をご覧ください。