Vol.920-1/3に続けてご覧ください。
さぬき歴史(観て歩き)フォトレポ-中讃編:07<帆山(小山)金右衛門の祠・二宮忠八翁銅像・丸山城跡>
<09.帆山(小山)金右衛門の祠> <撮影:2016.08.07 and 2018.08.31>
1750年、三野郡笠原村(現、三豊市豊中町)の農民大西権兵衛、近所の弥市郎・嘉兵衛、隣の大野村(現、同市山本町)の高橋兵治郎、さらに那珂郡帆山(現、まんのう町帆山)の金右衛門らが、碑殿(ひどの)村(現、善通寺市)甚右衛門、三井村(現、多度津町)帆山(小山)金右衛門(ほのやまきんえもん)らとも相談し、丸亀・多度津両藩領にまたがる広範な統一戦線をつくりあげて、丸亀・多度津両藩に対して、未進(みしん)年貢の無利子30年払いや、年貢の不正徴収の停止、庄屋・組頭の免職など、13カ条を要求して立ち上がったのが、「丸亀藩・多度津藩領寛延三年一揆(西讃百姓一揆)」である。
帆山(小山)金右衛門は、大西権兵衛の師小山耕雲斎の子で、権兵衛の妻よねの兄であると伝えられている。大野村の兵治郎、碑殿村の甚右衛門、三井村の金右衛門も耕雲斎の門下生で、その縁で一揆の指導者になったらしい。奇しくも、一揆の最中、幕府が強訴禁止令を出しており、一揆終結後、権兵衛・帆山(小山)金右衛門ら12人は金倉川原で処刑されたが、13カ条の要求のうち、10カ条について聞き届けさせるという成果を闘い取った。一部は反古にされたが、すべての庄屋の免職などは実現した。
<所在地・外観>
▼帆山(小山)金右衛門の祠-仲多度郡まんのう町帆山
▼帆山(小山)金右衛門の祠-百姓一揆の指導者、神として祀られた
JR塩入駅の南の県道201号線を西へ進み、JRの踏切を渡り、県道197号線の交点に仲南郵便局がある。
▼仲南郵便局、裏山の高室神社
<概 要>
仲南郵便局の裏山に有る高室神社の境内、本殿左側に、1750(寛延3)年の西讃百姓一揆の指導者の1人である「帆山(小山)金右衛門の祠」と碑がある。元は十郷(そごう)神社(まんのう町大口宮西)の隣に祀っていたものだが、県道拡張工事のため、1978(昭和53)年に現在地に移された。
▼高室神社-1
▼高室神社-2
▼高室神社-3
▼高室神社-4
▼高室神社-5
▼高室神社:本殿、帆山(小山)金右衛門の祠と碑-1
<歴史遺産>
彼らは「七義士」「七人童子」と呼ばれ、各地に神として祀られた。
その一つがこの高室神社の境内の帆山(小山)金右衛門の祠である。
▼帆山(小山)金右衛門の祠と碑-2
▼帆山(小山)金右衛門の祠
▼帆山(小山)金右衛門の碑
▼帆山氏子中
2018年8月31日に高室神社境内に再訪してみると、台座だけで祠と碑は取り除かれていた。
後日、まんのう町仲南支所に電話で問い合わせると、翌日にご返事を頂いた内容は「まんのう町の小山様のご自宅の庭に設置されている」との事で有った。
どのような経緯で移設されたのかは不詳だが、機会があれば訪問して、お聞きしてみようと思っている。
下の写真は2018年8月31日現在の高室神社境内の様子である。
▼帆山氏子中、帆山(小山)金右衛門の碑
<文は現地説明板やWebなどより引用した>
<10.二宮忠八翁銅像> <撮影:2017.06.10>
二宮忠八(ちゅうはち)は、1866(慶応2)年、伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(現、愛媛県八幡浜市矢野町)に生まれた。1887(明治20)年、21歳で徴兵され、丸亀歩兵第十二連隊に入隊した。その2年後、野外演習の帰り道、仲多度郡十郷村(現、まんのう町大口)の樅ノ木峠で昼食を取っている時、ふと、翼を広げたまま羽ばたく事なく滑空するカラスに注目した。忠八は、向かってくる風を翼で受け止め、その空気抵抗を利用すれば、羽ばたかなくても空を飛ぶ事が出来るのではないか、と考えた。飛行原理の発見である。
その日から忠八は空を飛ぶ事の研究に没頭。休みのたびに研究を重ね、ついに1891(明治24)年、「カラス型模型飛行器」の飛行実験に成功する。ライト兄弟による有人飛行成功の12年前の事である。
その後、有人飛行が可能な二枚翼の「玉虫型飛行器」の実用機の完成を目指し、何度も軍に上申して日夜研究を重ねた。有人飛行ではライト兄弟に後れを取ったが、飛行原理の発見はライト兄弟よりも早かった。
<所在地・外観>
▼二宮忠八翁銅像-仲多度郡まんのう町追上
▼二宮忠八翁銅像-飛行原理を世界で初めて発見
高室神社から国道32号線に戻り、琴平方面へ1.5kmほど行くと樅ノ木(もみのき)峠に差し掛かる。峠の上りを坂越えると道は下り坂になるが、途中の右側に、道の駅「空の夢もみの木パーク」が有る。
<概 要>
道の駅「空の夢もみの木パーク」の直ぐ隣に二宮飛行神社があり、「二宮忠八翁銅像」が立っている。
▼国道32号線-キロポスト33-高松まで33kmの地点、国道32号線を北上
▼樅ノ木峠-1
▼樅ノ木峠-2
▼樅ノ木峠-3
▼二宮飛行公園が見えてきた、右側が二宮飛行神社
晩年は、自ら考えていた飛行機が現実に世界の空を飛び交うように成った時、その事故による犠牲者の多さを嘆き、自宅に飛行神社を建立し、航空界の安全と航空殉職者の慰霊に心血を注いだ。
<歴史遺産>
▼二宮飛行神社-1
▼二宮忠八翁銅像
▼二宮公園の碑、世界最初の飛行原理着想の地の標柱
▼二宮飛行神社-2
▼二宮飛行神社-3
▼二宮飛行神社-4
引き続き、Vol.920-3/3をご覧ください。

















































