Vol.929-1/2 R巻頭-41。歴史(観て歩き)レポ-中讃編:16<牛額寺奥院> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

新居宮池は今

国分寺町新居の三ケ所池の中に位置する新居新池のパノラマ景。

日没直前の夕陽と宮池の水面。

宮池パノラマ4景。

 

 

 

Akijii-blog頭言Repeat-041  Orignal掲載日:Vol.064 (2011.08.25)

不安定な時代の命綱。

 

歴史を振り返ると、時代は「安定した時代」と「不安定な時代」のパターンを繰り返している事が解かる。「変化に対する柔軟性」と「スピード感」について現代を生きる私たちが大いに学ぶべき坂本龍馬のエピソードを記載します。

 

当時、土佐藩士の間では長刀をさすことが流行していたそうだ。

しかし、土佐勤王党の同士、板垣清治が長刀を身につけて得意気にしているのを見た龍馬は、「長刀は実践では役に立たない」と短い刀をさしていたという。

それに触発された板垣が今度は短刀をさして龍馬に会うと、龍馬は懐より拳銃を取り出し「銃の前には刀など役に立たない」と言う。

板垣はそれに納得し拳銃を買い求め三度龍馬に会うが、龍馬は「万国公法」という一冊の本を差し出して「これからは世界を知るために学問が何より大切だ」と話したそうである。

 

安定した時代であれば動きや変化はさぼど必要ではないのかも知れないが、今日のようにいったん時代が不安定になれば動きと変化は必須であり、生きて行く上では命綱である。

 

 

<高くがる空間>

由良町と下田井町の境から見る県道10号線の上空。

五輪塔-田井城跡(下田井町)の上空。

八幡神社-田井城跡(下田井町)の上空。

 

 

A seasonal flower 

◇ウォキングコース脇のお宅の花壇に咲くクリピングボリジ(宿根ボリジ)

ボリジ(ルリジサ)は、地中海沿岸に自生するムラサキ科の一年草で、ハーブに分類される。春に種をまくと、初夏から夏にかけて花を咲かせ、秋にまくと大型に生長し、草丈は1mほどになり、翌春に花を咲かせる。こぼれ種でも発芽するほど繁殖力があるので、環境にあうと1年中発芽する場合もある。

ボリジの花の色は濃い青色と白があるが、青色は聖母マリアの青い衣を描く時に使われたことから「マドンナ・ブルー」とも呼ばれている。葉の表面は白い剛毛が生えており、触れるとチクチクする。稀に葉にかぶれる人もいるため注意が必要で、葉の迫力に比べると、うつむきがちに咲く花は控えめな印象である。種類は、白花ボリジ(白花種)とクリーピングボリジ(宿根ボリジ)が有る。

 

クリーピングボリジは一般的なボリジとは違い、匍匐性の多年草で、株全体がゴワゴワとした固い剛毛に覆われている。一年草のボリジは立性で地植えにすると1m近くに生長するが、クリーピングボリジは横に這うように広がって生長するため花丈は20~30cmほどである。花の開花時期もボリジは春に咲くのに対して、クリーピングボリジは春から秋と、とても長い期間花を咲かせる。花色は褪せたデニムのような淡い水色で、一年草のボリジに比べると目立たない色で、クリーピングボリジは性質がとても強く、環境に合えばこぼれ種で増えていく。クリーピングボリジは4月~10月の長期間、淡い水色の花が開花し、花はうつむくように咲く釣鐘型、花の形は一年草のボリジと同じく星の形をしていて、花のサイズはボリジに比べて一回り小さめである。

 

◇ウォーキングコースのK宅の畑に咲くヒマワリ

 

◇ウォーキングコースのK宅の畑に咲き続けているケイトウ

 

◇ウォーキングコースのY宅に咲くポーチュラカ

 

◇ウォーキングコース脇のパンパスグラス

 

 

 

Akijii気ままniフォトsketch<宇佐八幡宮・香西神社  

宇佐八幡宮は、藤尾山山上にあり、祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三神で、もと笠居郷三村の郷社である。

縁起によれば、承久の乱(1221/承久3年)での功績により幕府御家人となった香西資村が、嘉禄~安貞年間(1225~1229)に、佐料城、勝賀城の築城と並行して豊前国宇佐八幡を勧請した。その折り、豊前からの一行は生島湾(宮の浦)に上陸し、壇上原にしばらく滞在した後、木野戸の溝内家で装束を整えて通り谷、ヒウチ坂を経て山口村藤尾の原(現在の鬼無町山口)に3基の神輿が到着。ここに御神体を遷座し藤尾八幡と通称した。遷座地は初め現在の山口荒神(お荒神さん)の場所であったが、そこが火災に遭い東に下りた古宮古墳の位置に遷ったという。続いて数年後、宇佐八幡宮(藤尾八幡)は現在地の磯崎山に移された。磯崎山に移ってからも、先の遷座地の藤尾の名が残り、引き続いて藤尾八幡、藤尾神社、藤尾の宮などと呼ばれ、また、磯崎山は藤尾山とも呼ばれるようになったという。

 

香西神社は、

「このお杜は、昭和十年秋現在の香西小学校校庭一遇に、忠魂社として建立されましたが、昭和十年社名を香西神社と改め、この地に移転修築されたものであります。祭神は、・・・(略)」--(香西神社について-をご覧ください)

 

▼所在地、宇佐八幡宮の門前

高松市香西本町:〒761-8012

 

▼宇佐八幡宮-拝殿、香西神社

 

 

▼香西寺を出て宇佐八幡宮へ向かうため香西西町を南東に進む、香西西町から香西本町に入る

 

▼香西本町を南東に進む-1(左に香西コミセン)、香西本町を南東に進む-2

 

▼香西本町を南東に進む-3(左は宇佐八幡宮から下りる地点)、次の三差交点を左折

 

▼香西本町を東方向に進む

 

▼宇佐八幡宮の門前に着いた、宇佐八幡宮-鳥居と扁額

 

▼宇佐八幡宮-藤尾城跡

▼宇佐八幡宮-参道石段を上る-1

 

▼宇佐八幡宮-参道石段を上る-2、宇佐八幡宮-随神門-1

 

▼宇佐八幡宮-随神門-2

 

▼宇佐八幡宮-参道石段を上る-3

 

▼宇佐八幡宮-参道石段の左側(琴平宮神社)、参道石段の右側(廣田神社)

 

▼宇佐八幡宮-境内入口の左側の狛犬と燈籠、境内入口の右側の狛犬と燈籠

 

▼宇佐八幡宮-拝殿-1

 

▼宇佐八幡宮-拝殿-2

 

▼宇佐八幡宮-本殿

 

▼宇佐八幡宮-境内-1:拝殿の左方向、拝殿の右方向

 

▼宇佐八幡宮-神馬、境内-2

 

▼宇佐八幡宮-境内-3、境内社(白峯神社)

 

▼宇佐八幡宮-境内社(塩竃神社・松尾社)、境内社(岩峯神社)

 

▼香西神社へ進む-1

 

▼香西神社へ進む-2(高松市名木-クロガネモチ)、香西神社に着いた

 

▼香西神社-1

▼香西神社-2

 

▼香西神社-3、帰路のバス停へ向かう

 

▼藤尾山から下りる-1

 

▼藤尾山から下りる-2

 

▼藤尾山から下りる-3、藤尾山から下り香西本町を北西方向に進む

 

▼右側に香西コミセン、香西コミセン

 

▼香西コミセンの北角を右折、香西本町を東方向に進む-1

 

▼香西本町を東方向に進む-2、右奥に宇佐八幡宮の裏参道口

 

▼宇佐八幡宮の裏参道口、県道16号線交点を左折しバス停へ進む

 

▼県道16号線を北西に進みバス停「中塚」へ進む、バス停「中塚」で乗車し帰宅の途に就いた

 

 

 

<akijii展-(486)

スクラッチアート(若冲の世界6点)-3

今報は「老松白鳳」で、所要時間は線画-605分、面画-115分=720Mでした。

神々しい白鳳の姿が金色に輝き、一層の美しさを増します。繊細な羽根も、ペンの鉄筆側なら描きやすいものです。

◇原画                                       ◇線画

 

◇面画(完成作品)

 

引き続き、Vol.929-2/2をご覧ください。