新居宮池は今
冬の到来を知らすような宮池の色彩。
穏やかな夕暮れ時の宮池の水面。
Akijii-blog巻頭言Repeat-039 Orignal掲載日:Vol.062 (2011.08.15)
大局観を持ち、本質を究める。
社会が成熟し複雑になっていると、何事につけてもリスクを避けて、無難なほうへ無難なほうへと流されがちな傾向が社会全体にあるように思う。しかも「木を見て森を見ず」と言うか、何か細かい事ばかりにこだわって大切なものを見失っているような気がする。
将棋の世界では「香車四枚を見ろ」ということを言うらしいが、それは香車というのは将棋盤の四隅にあるわけだから、盤面全体を視野に入れて指せ、ということだ。また、全ての駒が有効に働いているかどうかを絶えず目を配って指す「遊び駒をつくってはいけない」の大切さも同様であるらしい。
「大局観が大切」ということは、将棋の世界に限らず言われるが、例えば戦国時代になぜ徳川家康が最終的に天下を取ることが出来たかと言えば、他の戦国大名と違って家康は鎌倉幕府が編纂(へんさん)した「吾妻鏡」などの歴史書を愛読して、大きな歴史の流れの中で自分が果たす役割をしっかり分かっていたからだと云われている。
ビジネスの世界でも、これまでの常識が通用しない変化の時代だからこそ、毎日の仕事(ルーチンワーク)に没頭してしまうのではなく、時には歴史の本をひもといてみるなどして、スケールの大きな視野を持ち本質を究める仕事にあたることが必要不可欠と思うのである。
<高く広がる空間>
サンシャイン通りSTNETとウッドホーム(林町)の上空。
サンメッセ香川(林町)の上空。
香川大学創造工学部(林町)の上空。
A seasonal flower
◇ウォーキングコースに咲くセンダングサ(栴檀草)属
コセンダングサ(小栴檀草)は北アメリカ原産で、日本では明治時代に確認された帰化植物で、関東以西の河原や荒地などに広く分布する。環境省による外来生物法により、生態系被害防止外来種に指定されていたが、2022年には外されている。
夏から初冬までの間、黄色いちりちりの花を咲かせる。葉っぱが「栴檀(せんだん)」に似ることからこの名前になったようだ。茎の高さは50~100cmほど、黄色の頭花は筒状で総苞片は短い。茎は四角形状に角ばっている。先端に棘があり衣服などに付きやすく、ひっつき虫と呼ばれる一種である。
また、シロノ(シロバナ)センダングサの植物体はコセンダングサと全く変わらないが、頭花に白色の舌状花があることで区別できる。舌状花は4~7個で雌しべ、雄しべが退化して結実しない。果実の刺は3~4本のことが多いが、時には2本に減っていることもある。
花期は秋。弘化年間渡来の記録があるが、急に広がりだしたのは戦後で、本州中部以西の都会付近の荒れ地に多い。
ウォーキングコースの地点別に掲載します。
・A地点
・B地点
・C地点
・D地点
・E地点
・F地点
・G地点(7月末の除草が原因か?この区間は生育無し)
・H地点
・Ⅰ地点
・J地点
・K地点
・L地点
◇ウォーキングコースのヒメツルソバ
Akijii気ままniフォトsketch<芝山(芝山神社)縦走>
芝山は、海に浮かんだ小島でした。もと小島の東側は約30mの断崖で、ウバメガシが密生しているところから、芝山と呼ばれています。瀬戸内海に臨むこの地へは、かつて海防のために香西氏が出城を構えたこともありました。
天正年間、芝山城のつわものたちがたむろした山も、現在は芝山海浜公園として多くの人が訪れます。(現地案内板)
今回は芝山(標高43.6m・標高差41m)の北参道登り口から登り、芝山を縦走(約470m)するコースで実行しました。
途中、芝山墓地で山田徳兵衛の墓を、また香西公園や芝山の北参道登り口にある玉姫神社を訪ね、芝山の山頂部の芝山神社へと縦走した。
▼所在地、芝山墓地(山田徳兵衛の墓)
高松市香西北町:〒761-8011
▼玉姫神社と芝山北参道登り口、芝山神社
▼バス停「香西北町」で降車、香西北町を東北方向に進む-1
▼香西北町を東北方向に進む-2(左側に地蔵菩薩)、地蔵菩薩
▼県道16号線の高松市香西北町交差点が見えて来た、交差点の北側に芝山神社の南参道登り口
▼芝山神社の南参道登り口のズーム景、高松市香西北町交差点を渡る
▼県道16号線の右(東南)方向、左(西北)方向
▼香西北町を西北方向に進み芝山墓地(山田徳兵衛の墓)へ、香西北町を西北方向へ進む
▼香西北町を西北から北方向へ進む、香西北町を北方向へ進む
▼芝山墓地が見えて来た、芝山墓地に着いた
▼芝山墓地-1
▼芝山墓地-2
▼芝山墓地(山田徳兵衛の墓)
▼香西公園-1、さぬき百景-芝山
▼香西公園-2
▼芝山大橋(左奥は串ノ山)、芝山大橋と芝山マリンランド(奥にタダノ香西工場)
▼玉姫神社へ石階段を上がる(芝山北参道登り口)、玉姫神社-1
▼玉姫神社-2
▼玉姫神社から見る香西公園と奥の芝山大橋、芝山神社へ向かう(約270m)(芝山の標高は43.6m)
▼さぬき百景-芝山、石階段を上る-1
▼石階段を上る-2、北西方向(芝山大橋)の遠景
▼石階段を上る-3、芝山の石階段を上り終え山道を進む(奥の石は句碑)
▼句碑
波さわぐ男木の島山 雲かけて 女木の裾野に 時雨ふるなり
▼芝山の山道を進む-1
▼山頂平坦部に入った、芝山の山道を進む-2
▼芝山神社の北端の虚空蔵菩薩を祀った祠に着いた(芝山山頂部)、芝山神社-虚空蔵菩薩
▼芝山神社-虚空蔵菩薩と右に宝篋印塔、東方向に屋島
▼東方向のパノラマ景(中央左に女木島・男木島)
ベンチから眺める瀬戸内海、女木島と男木島がよく見えます。
▼芝山神社-社殿へ進む、社殿-1
▼東南方向の香西港大橋(県道16号線)、東方向に香西漁港
▼芝山神社-社殿-2
▼芝山天狗伝説・芝山神社・芝山城跡の説明板、芝山神社-石鎚神社
芝山天狗伝説
昔から白峰山の天狗相模坊(さごんぼう)と八栗山の天狗中将坊(ちゅうじょうぼう)は、仲間同士でお互いに行ったり来たりしていました。ある日、白峰の相模坊天狗が八栗の中将坊天狗のところへ飛んで行く途中、芝山の上空で突然大風にあおられて芝山に落ちてきたそうな。天狗は風がやむのを待つため腰かけて休憩したそうな。
その時、腰かけた岩を天狗岩と言ったそうだがどの岩が天狗岩か知っている人は今はいない。
こんな事があってからは、白峰の天狗は芝山の上空を飛ぶときは芝山で一休みしていたそうな。
八栗の天狗は一ツはまの金の下駄をはいてチャリン、チャリンと鳴らして歩いていたと言うそうな。
芝山にも天狗が棲(す)んでいたと伝えられている。ある夜、沖で投網(とあみ)を打っていた漁師(りょうし)が芝山から天狗が飛ぶのを見たという言い伝えがあるそうな。この様ないい伝えが天狗伝説として芝山には昔からのこされています。
芝山神社
芝山神社の祭神は、大国さん・恵比須さん・弁天神さんを奉り、地区住民が毎年十月に例祭を取り行っています。
芝山城跡
勝賀城主香西氏の出城の一つで、芝山の頂上にありました。現在は土塀の一部がわずかに残っているだけである。
城を守っていたのは香西氏の家臣で直島に本居をかまえていた、渡辺氏の市之亟と三之亟兄弟が守っていた水城でありました。
▼芝山神社-天狗岩?、階段を下りる-1
▼芝山神社-階段を下りる-2、振り返る-1
▼芝山神社-階段を下りる-3、振り返る-2
▼芝山神社-階段を下りる-4
▼芝山神社-階段を下りる-5、芝山の説明板
▼芝山神社-階段を下りた、南参道登り口を振り返る
▼ことでんバス停「香西中央通り」まで進む(約0.9km)、バスに乗車し帰宅の途に就いた
<akijii展-(484)>
今報から「スクラッチアート(若冲の世界6点)」です。
削って楽しむ鬼才「伊藤若冲」の名画
世界中で愛され続ける名画の世界を織り成す、6点の美しいスクラッチアート。
今報は「鳥獣戯画1」で、所要時間は線画-220分、面画-335分=555Mでした。
若冲と云えば、無数の枡目に描かれたこの作品を最初に思い浮かべる方も多いでしょう。色とりどりの動物や花木を、屏風のように2枚のアートに描いてあります。広い面と面の境界線は、少し残して削るとよいでしょう。
◇原画 ◇線画
◇面画(完成作品)
引き続き、Vol.927-2/3をご覧ください。



























































































































