Vol.865-2/5に続けてご覧ください。
▼天守台-4
▼天守台-5、天守台から見る高松シンボルタワー・JRホテル
▼高松城の歴史と天守台石垣の修理工事の説明板、天守台から見る内堀・水門
▼天守台から見る内堀・鞘橋・ことでん高松築港駅ホーム、県民ホール・香川県立ミュージアム
▼天守台から見る四国電力・高松法務局、高松城天守 地下1階の発見の説明板
<鞘橋まで戻るメモ>
▼高松城跡・天守台から下りる-1
▼高松城跡・天守台から下りる-2
▼高松城跡・天守台から下りる-3、高松城跡・天守台を振り返る
▼高松城跡・本丸跡を進む-1、高松城跡・本丸跡-前方に地久櫓(ちきゅうやぐら)跡
▼高松城跡・本丸跡-地久櫓跡の説明板、地久櫓跡
▼高松城跡・本丸跡を進む-2
▼高松城跡・鞘橋を進む
<月見櫓までのメモ-1>
▼高松城跡・月見櫓へ向かう(左側は二の丸跡)、高松城跡・月見櫓へ進む-1
▼高松城跡・月見櫓へ進む-2(鉄門跡)、鉄門跡の説明板
▼高松城跡・内堀遊覧待合-城舟体験、内堀遊覧-城舟(和船・玉藻丸)
▼高松城跡・鉄門跡を振り返る、高松藩松平家の泳法の説明板
▼高松城跡・水門、水門の説明板
▼高松城跡・月見櫓へ進む-3
<披雲閣庭園に寄るメモ>
▼披雲閣庭園に寄る、披雲閣庭園の説明板
▼披雲閣庭園-1
▼東屋、披雲閣庭園-2
▼披雲閣庭園-3、披雲閣庭園の入口に戻る
<月見櫓までのメモ-2>
▼高松城跡・月見櫓へ進む-4、左上段に上がる
▼「高松城から見える瀬戸内海の島々」の案内板、案内板の実写(左奥に高松城跡・報時鐘が見える)
▼前方に高松城跡・月見櫓・水手御門・渡櫓が見える、高松城跡・月見櫓へ進む-5
▼高松城跡・月見櫓へ進む-6、高松藩松平家の泳法の説明板
<2.月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓探訪メモ・ルポ>
城内でもっとも海に近い場所に位置する櫓と、海へと繋がっていた御門である。
・月見櫓(着見櫓)-続櫓 江戸時代、各藩の藩主は1年ごとに自領と江戸を行き来する参勤交代が幕府によって定められていた。3重3階の櫓は、藩主が帰ってくる船の到着を望み見た事から名付けられたので、「着見櫓」が本来の名称です。
藩主には西国大名の監視役という命もあったため、櫓から瀬戸内海を行き来する船の動きを見ていた事でしょう。
櫓の中央には四天柱とよばれる4本の柱が3階天井まで延びている。長い柱であるため一つの木からは切り出せず、柱を継いでいるのが2階で見られる。2階の屋根を見下ろしてみると、三つ葵の御紋が所狭しと並んでいる。
ここまで贅沢に使われているのも中々珍しいことなのだとか。
南面には続櫓と呼ばれる小規模な平櫓が付属する。古文書の記載から、延宝4年(西暦1676年)に上棟と考えられる。
・水手御門 月見櫓の南に隣接する、高松城の海の大手門。参勤交代に出る藩主はここから小舟に乗り、沖合で本船に乗り換えて大坂へ向かいました。
・渡櫓 倉庫として使われた渡櫓の一番の特徴は壁。ここだけで3種類もの壁構造が見られる。
<大壁>城外側にあり、敵から砲弾を受ける可能性があるため、柱も貫ぬきも隠れるほど厚く造られている。
<真壁しんかべ>城内側にある外壁は大壁同様に厚く、内壁は柱や貫が見える程度に薄く塗られている。
<波型真壁>水平方向に渡された貫を隠すように塗り込められた壁面が綺麗に波打っている。火災時の延焼を防ぐ「防火」とも、できるだけ薄く塗る「材料の節約」とも云われているが、定かではない。波型真壁が使われている城郭は全国でも少なく、ここ高松城と彦根城(滋賀県)でのみ目にする事が出来る。
波型真壁の部分は、天正16(1588)年の築城当時から櫓門だった部分で、そこへ継ぎ足す形で渡櫓は造られた。
▼高松城跡・月見櫓に着いた、高松城跡・月見櫓・水手御門・渡櫓-1
▼高松城跡・渡櫓、渡櫓の説明板
▼高松城跡・月見櫓・水手御門・渡櫓-2、高松城跡・水手御門
▼高松城跡・月見櫓・続櫓-1、月見櫓・水手御門・渡櫓の説明板
▼園内案内図(現在地-月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓)、高松城跡・月見櫓
▼高松城跡・続櫓・水手御門・渡櫓、高松城跡・月見櫓・続櫓-2
▼高松城跡・月見櫓の前から見る右(北)方向の2景
引き続き、Vol.865-4/5をご覧ください。

































































