Vol.860-2/6に続けてご覧ください。
<1.丸亀城跡探訪メモ・ルポ-1(大手二の丸~本丸)>
築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する『木造天守十二城』の一つ。
内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的で見事な曲線を描きます。
この白亜の三層三階の木造天守は国指定重要文化財に指定されています。(香川県観光協会HP)
高さ日本一の石垣に鎮座して400年の歴史を刻む丸亀城
標高約66mの亀山に築かれた平山城で、別名亀山城と呼ばれています。本丸・二の丸・三の丸・帯曲輪・山下曲輪があり、東西約540m・南北約460mのうち内堀内の204,756m2が史跡範囲です。「石の城」と形容されるその名のとおり、丸亀城は石垣の名城として全国的に有名です。大手門から見上げる天守は威厳に満ち、夕暮れの天守は優しさをまとって、心を和ませます。400年の時を経た今日でも決して色あせることなく、自然と調和した独自の様式美をはっきり現在に残しています。(公財)日本城郭協会が選定した「日本100名城」にも選ばれ、花見や散歩など市民の憩いの場として親しまれています。 (丸亀市HP)
▼丸亀城大手二の門前の石橋から見る左(内濠の東)方向の石垣、右(内濠の西)方向の石垣
▼丸亀城大手二の門前の石橋から見る左(内濠の東)方向、右(内濠の西)方向
▼丸亀城大手二の門を潜る、丸亀城大手二の門の門扉
▼大手桝形の石垣、大手二の門を振り返る
▼大手一の門を潜る、大手一の門-1
▼大手一の門-2、
▼大手門広場
▼番所・長屋・玄関先御門へ進む-1、各種の案内板
▼番所・長屋・玄関先御門へ進む-2
▼玄関先御門、玄関先御門を潜り右折
藩主玄関先御門・番所・御駕篭(おかご)部屋・長屋(昭和38年県指定有形文化財)この門は京極氏の屋敷の表門にあたる。形式は薬医門(やくいもん)で、この門に接して番所・御駕篭部屋・長屋がある。
芝生広場や資料館は藩主の屋敷のあったところである。
▼番所・長屋-1
▼番所・長屋-2、番所・長屋・玄関先御門を振り返る
▼芝生広場、芝生広場から見る丸亀市立資料館
▼案内図(現在地)、かぶと岩へ進む-1
▼かぶと岩へ進む-2、かぶと岩に着いた
かぶと岩この岩は岩頸と呼ばれ火山噴出し口への通路部にあたる火成岩(安山岩)が侵食を受け円柱状に露呈したもので、京極氏の屋敷地内にある。江戸時代の絵図にはこの岩上に社が描かれているものがあり天神山と記されている。
▼かぶと岩、の先は「南西の帯曲輪石垣の修復工事」で通行禁止
▼引き返して見返り坂へ向かう、見返り坂へ進む-1
▼次の交点を右折、見返り坂へ進む-2
▼左に「あやめ池」、左奥に大手一の門が見える
▼記念碑
▼見返り坂の入口に着いた、大手一の門を見るためうるし林へ-1
▼大手一の門を見るためうるし林へ-2、うるし林から見る大手一の門-1
▼うるし林から見る大手二の門、大手一の門-2
▼見返り坂へ進む-3、交点を左折
▼見返り坂の入口に着いた、「↑天守まで徒歩10分」の看板
▼見返り坂の起点-左に表示板、右に「帰厚の碑」
大手門から山上に向かう山道は見返り坂と呼ばれている。
「帰厚の碑」の石碑は、帰厚(きこう)とは、厚き徳に帰することを意味し、論語の中の「終りを慎み、遠きを追えば、民徳厚きに帰す」が語源とされる。大正10年(1921年)、亀山公園が国から払い下げられる時に功績があった、片岡政吉と式村茂に対し、市民有志が送った石碑である。
▼見返り坂を上る-1
▼見返り坂を上る-2(石垣の美)、石垣の美の説明板
石垣の美三の丸北側の石垣は丸亀城の石垣の中で最も高いところで、20m以上の城壁が続き、隅角部(すみかどぶ)は算木積(さんぎづ)みと呼ばれる積み方で扇(おうぎ)の勾配(こうばい)と呼ばれる美しい曲線美となっている。
▼三の丸の高石垣-1
▼見返り坂の終点、右に高浜虚子の句碑
見返り坂を折れて少し登ったところ右手側に「稲むしろあり飯の山あり昔今」虚子と記された句碑がある。
▼三の丸の高石垣-2
▼生駒坂を上る-1、左に標示板
▼生駒坂を上る-2、三の丸に着いた
本丸・二の丸を巡る平場(曲輪)で、月見櫓・坤(ひつじさる)櫓や戌亥(いぬい)櫓の三棟の櫓があった。
▼三の丸東櫓台へ、三の丸東櫓台
引き続き、Vol.860-4/6をご覧ください。



































































