Vol.860-1/6に続けてご覧ください。
かがわ探訪Akijii77撰シリーズ-51<4.城址:05)>(丸亀城跡)
高さ日本一の石垣に鎮座して400年の歴史を刻む丸亀城を訪ねました。
<歩行ルート>総距離5.7Km(スタート駅~帰宅駅)(立ち寄り部分不含)、総歩数 10,790
▼近郊航空写真、歩行ルート図
▼丸亀城-三の丸の高石垣2、二の丸の石垣と天守
▼丸亀城-西の帯曲輪石垣の修復工事の様子、天守のズーム景
<探訪地点までのメモ-1>
▼JR端岡駅③番のりばへ進む-1
▼JR端岡駅③番のりばへ進む-2、だんご山3兄弟の裾野に帯状の雲がかかっている
▼琴平行に乗車、JR丸亀駅で下車
▼丸亀駅前広場へ進む
▼丸亀駅前広場に出た、丸亀城大手二の門前へ向かう(約1.1km)
▼金毘羅街道(富屋町・お城へのみち)を南東に進む-1
▼産学官連携事業「シャッターin商店街」の立て看板、金毘羅街道(富屋町・お城へのみち)を南東に進む-2
▼シャッターin商店街-太助灯籠、丸亀城石垣復興プロジェクトのポスター
▼金毘羅街道(富屋町・お城へのみち)を南東に進む-3、シャッターに「駅へ2分・このあたりとみや町3丁目商店街」
▼左に大師坊、シャッターin商店街-だいだらぼっち
▼シャッターin商店街-飯野山、シャッターin商店街-丸亀城1
▼シャッターin商店街-丸亀城2、右側の妙法寺(蕪村寺)に寄る
妙法寺に立ち寄りメモ
妙法寺(天台宗)は、与謝蕪村が明和3(1766)年秋から同5(1768)年の夏にかけて讃岐国(香川県)を訪れ、当山に滞在して絵を残したことから、妙法寺は別名「蕪村寺」と云われている。
▼山門、境内
▼本堂、境内の蕪村の句碑
▼蕪村の句碑-「門を出れハ我も行く人秋のくれ」、「長尻の春をたたせて棕梠の花」
▼稲荷大明神、丸亀城大手二の門前へ進む
<探訪地点までのメモ-2>
▼金毘羅街道(富屋町・お城へのみち)を南東に進む-4、県道21号線交点を左折
▼県道21号線交点の右(西南)方向、正面(南東)方向
▼県道21号線を東北方向に進む-1
▼(県道21号線→33号線)を東北方向に進む-2、県道33号線を東北方向に進む(次の交差点を右折)
▼丸亀市新庁舎の西側を南方向に進む-1、正面奥に丸亀城天守が見えて来た
▼丸亀城外堀跡の石碑、丸亀市新庁舎
▼丸亀市新庁舎の西側を南方向に進む-2
▼丸亀税務署前交差点を渡る、右側に丸亀市民ひろば
▼道標・鳩、丸亀市新庁舎とマルタス(市民交流活動センター)を振り返る
▼左側に丸亀市生涯学習センター、丸亀城大手二の門前の石標が見える
▼京極通り(県道21号線)を渡る、丸亀城大手二の門前に着いた-石橋を渡る
大手一の門・二の門(昭和32年国指定重要文化財)内濠(うちぼり)の北側中央部に位置し、城内側の櫓門(やぐらもん)を一の門、濠端(ほりばた)の高麗門(こうらいもん)を二の門と呼んでいる。寛文(かんぶん)十年(1670)京極氏のときに完成した。一の門は櫓内に太鼓を置き、城下に刻を知らせたことから太鼓門(たいこもん)と呼ばれている。
引き続き、Vol.860-3/6をご覧ください。





























































