Vol.841-6/8 雑学44。かがわ探訪Akijii77撰-32<寺社:16>(金刀比羅) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.841-5/8に続けてご覧ください。

 

▼奥社へ進む-10、大麻山登山道案内図

 

▼奥社へ進む-11

 

▼奥社へ進む-12、菅原神社が見えて来た

 

▼菅原(すがわら)神社

御祭神は、讃岐守(さぬきのかみ)でもあった菅原道真命で、「学問の神様」「至誠の神様」として信仰されている。

 

▼奥社まであと394段、奥社へ進む-13

▼奥社へ進む-14

 

▼案内板「奥社へ500m➡」、奥社へ進む-15

 

▼奥社へ進む-16

 

▼奥社へ進む-17

 

▼奥社へ進む-18、卯花谷休憩所が見えて来た

 

▼卯花谷休憩所、案内板「⇦奥社へ200m」

卯花谷休憩所は朱色の東屋で、その昔、この辺りはウツギが多く見られ「卯花谷」と呼ばれていた。

 

▼奥社まであと270段、奥社へ進む-19

 

▼奥社へ進む-20、後ろから追い越して行く若者たち

 

▼奥社へ進む-21

 

▼参拝記念碑、奥社へ進む-22(俄然人が多くなった)

 

▼奥社へ進む-23

 

▼奥社へ進む-24

 

▼奥社が見えて来た、奥社(厳魂神社)の鳥居を潜る

 

 

2.奥社(厳魂神社)探訪メモ・ルポ

厳魂神社(奥社)の海抜は421メートル、表参道からの石段の数は全1,368段です。「奥社(おくしゃ/おくのやしろ)」は通称であり、正式な名称は「厳魂神社(いづたまじんじゃ)」です。金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命が祀られています。

厳魂彦命は、戦国時代に生駒家の家臣の子として生まれ、早くから和漢神仏の学を修め、「宥盛」と称して高野山で修行し、象頭山金毘羅大権現別当金光院主となり、戦国の兵火により荒廃した金毘羅大権現の再興に尽力、金毘羅信仰の発展の礎を築きました。

慶長18年(1613)、「死して永く当山を守護せん」と言い残し、天狗と化して忽然と姿を消したと伝えられています。のちに金毘羅大権現の守護神「金剛坊」として祀られました。

厳魂彦命が祀られる厳魂神社は、こんぴらさまを見守るかのように、現在も御本宮の方角に向けて建てられています。

厳魂神社:奥社と呼ばれ、1368段の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別当金剛坊宥盛(慶長18年1月6日没)を明治に入り厳魂彦命として祀った。

本殿:檜皮葺・流造、明治38年建立、向唐門:檜皮葺、拝殿:檜皮葺・入母屋造、御守所:ご朱印あり。

 

▼奥社(厳魂神社)に到着、奥社(厳魂神社)-1

▼奥社(厳魂神社)-2

 

▼奥社(厳魂神社)-3

 

▼奥社(厳魂神社)-4

  

▼天狗とカラス天狗

厳魂神社(奥社)は讃岐岩質安山岩の急斜面に鎮座しているが、この崖を「威徳巖(いとくのいわ)」と云う。

厳魂彦命が参籠された旧跡で、崇徳天皇も参籠されたのではないかと伝えられている。

断崖の上方には天狗とカラス天狗の彫物がある。

▼奥の院からの眺望

 

 

<御本宮まで下りメモ>

▼御本宮まで下る-1

 

▼御本宮まで下る-2、大麻山登山口

 

▼大麻山への登山道、御本宮まで下る-3

 

▼御本宮まで下る-4

 

▼御本宮まで下る-5

 

▼卯花谷休憩所を通過、御本宮まで下る-6

 

▼御本宮まで下る-7

 

▼御本宮まで下る-8、奥社へ500mの地点

 

 

引き続き、Vol.841-7/8をご覧ください。