Vol.841-5/8に続けてご覧ください。
▼奥社へ進む-10、大麻山登山道案内図
▼奥社へ進む-11
▼奥社へ進む-12、菅原神社が見えて来た
▼菅原(すがわら)神社
御祭神は、讃岐守(さぬきのかみ)でもあった菅原道真命で、「学問の神様」「至誠の神様」として信仰されている。
▼奥社まであと394段、奥社へ進む-13
▼奥社へ進む-14
▼案内板「奥社へ500m➡」、奥社へ進む-15
▼奥社へ進む-16
▼奥社へ進む-17
▼奥社へ進む-18、卯花谷休憩所が見えて来た
▼卯花谷休憩所、案内板「⇦奥社へ200m」
卯花谷休憩所は朱色の東屋で、その昔、この辺りはウツギが多く見られ「卯花谷」と呼ばれていた。
▼奥社まであと270段、奥社へ進む-19
▼奥社へ進む-20、後ろから追い越して行く若者たち
▼奥社へ進む-21
▼参拝記念碑、奥社へ進む-22(俄然人が多くなった)
▼奥社へ進む-23
▼奥社へ進む-24
▼奥社が見えて来た、奥社(厳魂神社)の鳥居を潜る
<2.奥社(厳魂神社)探訪メモ・ルポ>
厳魂神社(奥社)の海抜は421メートル、表参道からの石段の数は全1,368段です。「奥社(おくしゃ/おくのやしろ)」は通称であり、正式な名称は「厳魂神社(いづたまじんじゃ)」です。金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命が祀られています。
厳魂彦命は、戦国時代に生駒家の家臣の子として生まれ、早くから和漢神仏の学を修め、「宥盛」と称して高野山で修行し、象頭山金毘羅大権現別当金光院主となり、戦国の兵火により荒廃した金毘羅大権現の再興に尽力、金毘羅信仰の発展の礎を築きました。
慶長18年(1613)、「死して永く当山を守護せん」と言い残し、天狗と化して忽然と姿を消したと伝えられています。のちに金毘羅大権現の守護神「金剛坊」として祀られました。
厳魂彦命が祀られる厳魂神社は、こんぴらさまを見守るかのように、現在も御本宮の方角に向けて建てられています。
厳魂神社:奥社と呼ばれ、1368段の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別当金剛坊宥盛(慶長18年1月6日没)を明治に入り厳魂彦命として祀った。
本殿:檜皮葺・流造、明治38年建立、向唐門:檜皮葺、拝殿:檜皮葺・入母屋造、御守所:ご朱印あり。
▼奥社(厳魂神社)に到着、奥社(厳魂神社)-1
▼奥社(厳魂神社)-2
▼奥社(厳魂神社)-3
▼奥社(厳魂神社)-4
▼天狗とカラス天狗
厳魂神社(奥社)は讃岐岩質安山岩の急斜面に鎮座しているが、この崖を「威徳巖(いとくのいわ)」と云う。
厳魂彦命が参籠された旧跡で、崇徳天皇も参籠されたのではないかと伝えられている。
断崖の上方には天狗とカラス天狗の彫物がある。
▼奥の院からの眺望
<御本宮まで下りメモ>
▼御本宮まで下る-1
▼御本宮まで下る-2、大麻山登山口
▼大麻山への登山道、御本宮まで下る-3
▼御本宮まで下る-4
▼御本宮まで下る-5
▼卯花谷休憩所を通過、御本宮まで下る-6
▼御本宮まで下る-7
▼御本宮まで下る-8、奥社へ500mの地点
引き続き、Vol.841-7/8をご覧ください。































































