Vol.841-5/8 雑学44。かがわ探訪Akijii77撰-32<寺社:16>(金刀比羅) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.841-4/8に続けてご覧ください。

 

▼賢木門-4

 

▼賢木門を潜る(御本宮まであと143段)、右側に遥拝所

 

▼遥拝所、真須賀神社へ進む

遙拝所は伊勢神宮や皇陵を遙拝する所で、神籬殿と拝殿からなる。

 

▼真須賀神社が右奥に見えて来た、真須賀神社

御祭神は建速須佐之男尊と、その后神である奇稲田姫尊で、八俣大蛇退治の天叢雲剣の神話に登場する勇武絶倫の神様であり、大国主神の御祖神である。

 

▼御前四段坂を上る(御本宮まであと133段)、御前四段坂-1段階目

御前四段坂は133段の石段で、各数十段の4段階になっている。

ここを上りきれば御本宮で、途中に御年神社と事知神社がある。

▼御前四段坂-2段階目、3段階目

 

▼右側に御年(みとし)神社、御前四段坂-4段階目

御年神社は、穀物の守護神である。

 

▼右側に事知(ことしり)神社、御本宮に到着(石段785段目、標高251m)

事知神社は、一般に商売繁盛の夷さまとして広く信仰されている。

 

▼御前四段坂を振り返る、御本宮-1

御本宮は石段785段目、海抜251mに鎮座し、御祭神は大物主神と崇徳天皇で、古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神として仰がれている。

御本宮の社殿の創建については分かっていないが、長保3年(1001)、一條天皇が藤原實秋に勅し社殿を改築したことまでは分かっている。その後、元亀4年(1573)の改築、天正年間(1573-1592)の長曽我部元親による再営を経て、万治2年(1659)の讃岐国高松藩主 松平頼重による改築に至り、明治11年(1878)の改築で現在の社殿となった。

 

▼御本宮-2

 

▼御本宮-3

 

▼御本宮-4

 

▼御本宮-5、展望台へ

御本宮の前の広場は展望台になっていて、讃岐平野の向こうに瀬戸大橋や讃岐富士などを一望できる。

 

▼展望台からの眺望(霞んでる)、御本宮-5-右側は奥社(厳魂神社)への進入路

 

 

<奥社までのメモ>

▼奥社(厳魂神社)へ向かう-「白峰神社・奥社➡」案内板、右おくのやしろ道

御本宮に向かって右側、展望台から続く道の鳥居が、厳魂神社(通称「奥社」)への参道の入口で、御本宮から奥社まで、距離は約1.2km、石段は全583段、奥社の地点の標高は393mである。

 

▼案内板「奥の社へお詣りの皆様方へ」、御本宮-本殿

 

▼奥社へ進む-1

 

▼奥社へ進む-2

 

▼奥社へ進む-3

 

▼奥社へ進む-4、真井橋を渡る-1

 

▼「白峰神社へ600m➡」、真井橋(まないばし)を渡る-2

真井渓(まないだに)に架かる赤色の橋で、上流には明治37年(1904)に作られた防火用水源の真井貯水池がある。

 

▼北原白秋歌碑、奥社へ進む-5

真井橋を渡ったところに庵治石(花崗岩)の北原白秋歌碑があり、書道の大家である安東聖空の作品である。

慶應義塾体育会山岳部の部歌「山の唄」(作詞 北原白秋、作曲 中山晋平)の歌詞を書いたもので、「守れ権現 夜明けよ霧よ 山はいのちのみそぎ場所」

 

▼常盤神社

八幡様として日本全国で広く祀られている鎮守の神様である。

 

▼奥社へ進む-5(奥社まであと536段)、奥社へ進む-6

 

▼奥社へ進む-7

 

▼奥社へ進む-8

 

▼奥社へ進む-9、白峰神社が見えて来た

 

▼白峰神社の縁起、白峰神社へ進む-1

 

▼白峰神社へ進む-2、案内板「白峰神社923段、奥社へ445段」

 

▼白峰神社に着いた、白峰神社-1

白峰神社の御祭神は崇徳天皇で、相殿には御母である待賢門院(たいけんもんいん)と、山の神として信仰されている大山祇神(おおやまつみのかみ)の二柱が祀られている。

また、随神として源爲義(みなもとのためよし)と源爲朝(みなもとのためとも)の木像が安置されている。

白峰神社は本殿に祀られている崇徳天皇の神社として坂出市の白峯寺にある頓証寺殿を明治11年4月に白峯神社とし当社の摂社としていたが、明治31年9月に白峯寺へ返還し、当地に新たに白峰神社を創建して崇徳天皇を祀った。

 

▼白峰神社-2

▼白峰神社-3

 

 

引き続き、Vol.841-6/8をご覧ください。