Vol.793-4/5 未熟である・・。かがわ公立中学訪問記-26<06.宇多津:1>(宇多津) | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.793-3/5に続けてご覧ください。

 

▼十楽寺を西方向に進む-2

 

▼十楽寺を西南方向に進む-1、南奥の飯野山

 

▼十楽寺を西南方向に進む-2

 

▼十楽寺を南方向に進む

 

▼十楽寺を南西方向に進む-1、三菱化学団地

 

▼十楽寺を南西方向に進む-2

 

▼前方に県道194号線、県道194号線を潜る-1

 

▼県道194号線を潜る-2、左前方の「法然上人杖堀の井戸」に寄る

 

▼法然上人杖堀の井戸-1

法然上人杖掘りの井戸は、宇多津町内から青の山トンネルを抜けた所に案内板有り。

地元の人は、青の山名水として重宝。法然上人 堀削の清水である。容器は持参の事。(宇多津町HP)

 

▼法然上人杖堀の井戸-2

 

▼法然上人杖堀の井戸-3

 

石碑にはこの井戸の由来らしき事が掘られていて、「承元元年(1207年)、浄土宗の元祖法然上人御年75才の御時、南・北嶺の僧徒達の訴状に依り念仏停止の御法度に値い給い、追いに当国塩飽本島に配流の身となりしが、源空もし流刑に処せられたまはずば我亦配所に赴かんや、もし我配所に赴かずんば何によってか辺鄙の群類を化せんと御高齢をも、おいといなく各所に仏法弘通の御足労。数多の奇瑞を顕され折りしもこの山峡へ御巡?の砌、大旱魃に見舞われ土地の人人大いに嘆かれけるを上人非常に御憐れみ給い、御自ら杖を持って岩間に挿し給へば不思議なるかな清水湧き出し旱天続くも、涸れることなし、後の○高僧源空上人の御遺徳を偲び杖堀の井戸と稱して崇敬の念、今に絶えせざる也。」

(○は判読不能)

要約すると、法然上人が讃岐に流された時、大干魃になって嘆いている土地の人を哀れんで、杖を岩の間に差し込むと清水が湧き出し、涸れる事もなかったと言う様な趣旨の事が書かれています。

 

▼法然上人杖堀の井戸-4

 

 

▼法然上人杖堀の井戸を振り返る、県道194号線へ進む-1

▼県道194号線へ進む-2

 

▼県道194号線へ進む-3、県道194号線に合流(標高44m地点)

▼県道194号線の右方向、県道194号線を北方向に進む-1

 

▼右側に三菱化学団地と奥に金山・常山・郷師山・その奥に城山、県道194号線を北方向に進む-2

 

▼県道194号線から見る東方向(PANORAMA)

▼県道194号線を北方向に進む-3、青ノ山(標高224m)の東側中腹(入口)に着いた(標高54m地点)

前方に青の山トンネルの南口が見える。

 

<青ノ山の東側中腹から見る宇多津町ルポ>

▼青ノ山の東側中腹を進む-1

 

▼青ノ山の東側中腹を進む-2、創造の森入口

 

▼青ノ山の東側中腹を進む-3

 

▼青ノ山の東側中腹を進む-4

 

▼宇多津小学校の遠景、ズーム

 

▼右前方奥に五色台と左に乃生岬・大槌島、南に飯野山

▼青ノ山の東側中腹から見る東方向(PANORAMA)

▼青ノ山の東側中腹を進む-5、青ノ山の東側中腹を進む-6(標高65m地点)

 

▼宇多津中学校の遠景、ズーム

▼青ノ山の東側中腹を進む-7、瀬戸大橋の遠景

 

▼宇多津市街の遠景(PANORAMA)

▼宇多津町と遠景の坂出市、青ノ山の東側中腹から県道194号線へ進む

 

▼Z字形に下る-1、林道青の山山下線-終点

 

▼Z字形に下る-2

 

▼Z字形に下る-3

 

 

引き続き、Vol.793-5/5をご覧ください。