Vol.581-3/4 単純化する天才。<史跡探訪-県都高松市編12:高松市由良町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.581-2/4に続けてご覧ください。

 

<歩行メモ>

▼由良山の山頂へ向かう、由良山の西登山口から上る

 

▼右に清水神社-1 由良山案内図

 

 

<探訪史跡-2:由良山>

高松市の郊外、高松平野南部に孤立する小山で、採石によって特に山の北側が山頂付近まで大きく削られることによって露出した岩盤が特徴的な景観を成す。山名の由来は、古の昔、大地震が起こった時この山だけは揺れなかったため「ゆらぬ山」と呼ばれ、それが転化して「由良山」になったという説がある。

周囲を人里に囲まれている里山で、室町時代に山頂に由良山城が築城され、江戸時代からは由良石と呼ばれる良質な石材が採掘され、戦時中には比較的大規模な防空壕が掘削されるなど、古くから人との関わりが深い山であった。地質は柱状節理が発達し、第三紀に噴出した岩脈状の黒雲母安山岩からなる岩山である。市街地に近いみどりとして香川のみどり百選に登録されている。

 

▼右に清水神社-2 登山道を進む-1

 

▼右に由良角力土俵場跡

 

▼登山道を進む-2

▼右下に由良角力相撲場跡が見える、登山道を進む-3

 

▼登山道を進む-4

 

▼石切り場跡(南面)

 

▼睡蓮の池

▼由良石之歴史の掲示板、登山道を進む-5

 

▼登山道を進む-6、由良石

 

▼アートの丘-1

 

▼アートの丘-2、西登山口300mの地点

 

▼登山道を進む-7 由良山防空壕跡-1

 

▼由良山防空壕跡-2

 

▼由良山防空壕跡-3

 

▼由良山防空壕跡-4

 

▼由良山防空壕跡-5

 

▼西登山口に着いた、西登山口から登る-1

急な坂が120mくらい続き、山頂へ到達する。

 

▼西登山口から登る-2

 

▼西登山口から登る-3

 

▼西登山口から登る-4

▼西登山口から登り切った、山頂広場に到着

 

▼山頂広場の龍王社と石鎚社、三等三角点

 

▼北方向の展望

 

▼山の北壁

 

 

▼一休みし山頂広場を後にする、登りと反対側から下山する

下山は西登山口へ引き返す計画だったが、道の対向(東登山口)の道から下山することにした。

切り立った絶壁の上、勾配がきつい事を覚悟して進むことにした。

 

▼由良山の3

▼絶壁の道を進む-1

 

▼絶壁の道を進む-2

 

▼絶壁の道を進む-3

▼絶壁の道を進む-4

 

▼東登山口まで降りてきた、東下山口を降りる-1

 

▼東下山口を降りる-2、石佛群の中を進む-1

 

▼石佛群の中を進む-2

 

▼石佛群の中を進む-3

 

▼清水神社の大師堂の前に降りた、石佛の案内板

 

 

引き続き、Vol.581-4/4をご覧ください。