Vol.571-3/4 老いた親を大事にするには。<史跡探訪-県都高松市編02:高松市鬼無町> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.571-2/4に続けてご覧ください。

 

<探訪史跡-1:今岡古墳>

高松市の西部、本津川流域を見下ろす全長60.5mの前方後円墳で、古墳時代中期(5世紀頃)に造られたと考えられている。この古墳の特色は、埴輪(はにわ)が多く使われていることがあげられ、筒型をした一般的な円筒埴輪はもちろん、家形や蓋(きぬがさ)等の形象埴輪も多く採集されている。また、古墳には河原石が散乱しており、古墳全体を石で敷きつめる葺石の名残りと考えられる。昭和39(1964)には、前方部から、全国的にも類例を見ない組合式(くみあわせしき)陶棺が発掘され、若い女性とみられる人骨とともに、鏡や玉類が出土した。東の方に立地する石清尾山古墳群と比べ、葺石で墳丘を飾り、多量の埴輪が立てられた今岡古墳は、当時の中心地であった近畿地方の強い影響を受けていると考えられている。   (高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会1992年『高松の文化財』より)

 

▼墳頂へ東側から上る、墳頂へ上る-1

 

▼墳頂へ上る-2

 

▼墳頂へ上る-3、墳頂はもう少しだ

 

▼墳頂が見えた、墳頂に到着

 

▼今岡古墳の墳頂

▼墳頂から見る誠陵中・高グランド

 

▼今岡古墳丘-1

 

▼今岡古墳丘-2

 

▼墳丘から見る勝賀山と香川誠陵中・高、屋島の方向(高松市街)

 

▼墳丘から見る香川誠陵中・高、鬼無町佐料

 

▼墳頂から北側へ降りる、墳頂から降りる-1

 

▼墳頂から降りる-2

 

▼墳頂から降りる-3、今岡古墳頂から降りた(今岡古墳の説明板)

 

<歩行メモ>

▼今岡古墳丘を振り返る、養福寺へ向かう-1

 

▼養福寺へ向かう-2

 

▼西方向の今岡古墳丘陵を振り返る、養福寺が見えた

 

 

<探訪史跡-2:養福寺>

養福寺は真宗興正派の寺院で、香西五郎の墓所である。

 

▼養福寺-1

 

▼養福寺-2

 

▼養福寺-3

▼養福寺-4

 

▼養福寺-5

 

▼養福寺-6

 

 

<歩行メモ>

▼貴船神社へ向かう-1

 

▼貴船神社へ向かう-2、案内標示板

 

▼貴船神社へ向かう-3

 

 

引き続き、Vol.571-4/4をご覧ください。