Vol.528-2/5に続けてご覧ください。
<萬福寺>
大同3年(808)に弘法大師が本山寺を建立された際に建てられたといわれているのが、毘沙門天を本尊とする万福寺です。戦乱により毘沙門天像の手が紛失し、法華経8巻中1巻がなくなり7巻になってしまいました。入口に「藤の花の寺」と書かれた石札があるとおり、境内の藤棚には紫や白の長藤や八重藤など数種類の藤が咲き乱れ、多くの人が訪れます。また、お寺の前を流れる財田川には水鳥が遊び、せせらぎの音がさわやかさを運んでいます。(三豊市HP)
▼寺標、参道と白塀
▼山門と白塀、山門
▼藤棚
▼藤棚と境内、境内
▼本堂、本堂の扁額
▼大師堂、聖観音菩薩など
▼花観音と花地蔵、なかよし地蔵
▼慈母観音、全景
<歩きメモ>
▼伊舎那院へ向かう、萬福寺の裏門から県道県道218号線へ入る
▼県道218号線を北西に進む、前方は和光中学校
▼次を左折し一般道へ入る、財田上の一般道を西に進む-1
▼財田上の一般道を西に進む-2
▼財田上の一般道を西南に進む
▼高瀬方面への交点が近い、交点を直進
▼交点-高瀬方面、我久橋(財田川)方面
▼地神宮「龍王の滝宮」へ寄る、地神宮「龍王の滝宮」
手前に地蔵尊、その後ろに地神宮・龍王宮。周りには大小様々な四角い石が転がっている。
▼財田川沿いに一般道を南西に進む-1
▼財田川沿いに一般道を南西に進む-2、北野大橋が見えてきた
▼伊舎那院の案内板が見えてきた、交点を直進
▼交点の右(北西)方向は高瀬町、左(南東)方向は財田町
▼伊舎那院へ、伊舎那院の裏門に着いた
<伊舎那寺>
如意輪観世音菩薩を本尊とし、北田山如意輪寺と号す伊舎那院は、聖徳太子の開基と伝えられ、七堂円満の道場であったと言われています。昔は末寺24ヶ寺を有していましたが、天正6年(1578)10月に長宗我部元親の兵火に遭い、灰塵に帰すところとなりました。慶長年間(1596~1615)に増憲上人によって再興され、現在にいたっています。寺には、鎌倉時代の作といわれる毘沙門天や南北朝時代の作といわれる不動明王、金剛力士像(市指定文化財)のほか、鎌倉時代後期に造られたといわれる石造宝塔(市指定文化財)などがあり、歴史の重みが感じられます。(三豊市HP)
▼表門へ向かう、表入口
▼案内板(作成-和光中) 、表参道1
▼表参道2 、山門(仁王門)と外観
▼説明板、仁王門
▼仁王
▼境内-1
▼境内-2 、大木の切り株(小生の帽子と比較を)
▼本堂
▼大師堂、寶蓮閣
▼多宝塔、宝塔群
▼石造宝塔(大平氏の墓)、説明板
▼境内-3
▼境内-4
引き続き、Vol.528-4/5をご覧ください。



































































