Vol.524-4/5 喋りもほどほどが。<観音霊場・式内社-25:⑱寶積院<20>加麻良神社> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

Vol.524-3/5に続けてご覧ください。

 

<歩きメモ>

▼宮川を南へ渡る、直進し本山橋(財田川)を南へ渡る

 

▼本山橋(財田川)の上流方向、下流方向

 

▼右折して財田川の河川敷を西進、堤内自転車道を西進-1:観音寺市へ入る

 

▼堤内自転車道を西進-2:前方に七宝山、堤内自転車道を西進-3

 

▼財田川の流れ、堤内自転車道を西進-4:四国のみちの道標

 

▼堤内自転車道を西進-5:前方にJR予讃線の橋梁、JR予讃線の橋梁-1

JR予讃線を潜る、JR予讃線の橋梁-2

 

▼堤内自転車道の終点、堤道を西進

 

▼次の交点を左折、堤道から下りる

 

▼流岡町を西南へ進む-1

 

▼流岡町を西南へ進む-2、県道5号線交点を右折して加麻良神社へ

 

▼加麻良神社が見えてきた、加麻良神社に着いた

 

 

<加麻良神社>

財田川の側にある丸山の上に鎮座している。参道入口の鳥居の側に、新しい三つ鳥居がある。

鎮座地の流岡は、祭神が流れ着いた丘という意味らしい。社伝によると、鎮座地丸山は、大己貴神と少彦名神の2神による四国経営の御霊跡。また、大水上神社に少彦名神が来て、夜毎泣き叫ぶので、大水上神は桝に乗せて流したところ、当地に流れ着いたという。「加麻良」の社名は、御神室の神室「かみむろ」に由来する。また、一説には、加茂からの訛りであるとか、加茂の鳴鏑神を祀り、鏑「かぶら」からの訛りともいう。山頂の境内へ続く参道には、讃岐の式内24座の石祠が点在している。神社境内の看板には「よみがえる古代の稲穂、延喜式内社(四国最古社)」とあった。

 

▼社号標、山頂(境内)200m

▼境内入口、一の鳥居

▼三つ鳥居へ

▼三つ鳥居

▼境内へ-1

▼境内へ-2

▼境内へ-3、二の鳥居

-三の鳥居、宝物殿

 

▼拝殿

 

▼本殿

 

▼境内社、橿原神宮遥拝所

 

▼おもいで石、境内1

 

▼御神室・石宮の説明板-鳥居と大己貴神像、御神室・石宮

 

▼境内-2、神符授与所

 

 

引き続き、Vol.524-5/5をご覧ください。