Vol.446-1/3 一面だけを‥<R11をチャリで走る-03:さぬき市津田~高松市番町-2> | akijii(あきジイ)Walking & Potteringフォト日記

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「凡に中なる、これ非凡なり」(論語)、「何事も自分に始まり、自分に終わる。自分を救う道は自分以外ない」(夏目漱石の言葉)を座右の銘に、我流(感性だけ)の写真を添えて日記を綴る。

 

新居宮池の動静

親水公園の遊具とだんご山3兄弟と宮池。

 
 

沁みる言葉

一面だけを見ていないか

 

私たちの日常は、いうまでもなく、様々な人間関係の中に展開している。

相手の一人ひとりを「アレはこういう人間、コレは…」と見定めて、その対応を考える。

これはほとんど意識せずに行われるから、自然といえば自然、普通といえば普通だ。

 

インドの詩人(東洋の詩聖、1913年ノーベル文学賞)ラビンドラナール タゴール(18611941)に、

----水に住む魚は黙し、地上の獣はかしましく、空の小鳥は歌う。しかし、人間は彼の中に海の沈黙と地のざわめきと空の音楽とを持っている、すべての嬰児(えいじ)は神がまだ人間に絶望していないというメッセージをたずさえて生まれて来る。木の葉の誕生と死とは渦のすみやかな回転であり、その一層大きい輪がしずかに星辰(せいしん)の間をめぐってくる。神の大きな力は静かな微風の中にあって嵐の中にはない。鉢の中の水はきらめいている。海の水は暗い。小さな真実は明晰な言葉をもつが、大きな真実は大きな沈黙をもっている。

---- いうタゴールの人間観についての語録がある。

 

これに照らせば、私たちの日常は、一面的な展開に終始しているという他はない。

しかも、中途半端に親しい人ほど、この傾向にあると感じるが、ちょっと親しい人というのが、実は人間関係の中で一番比率が多いから大きな問題なのだ。

そこが一面的なのは、要するに、我が人間関係が貧素だということに等しい。

他人(ひと)の多面性の発見は、当然、自己の豊かさにも反映するから大事なのだ。

 
 

Walking & Potteringの風景

新川橋、新川橋の下流方向(高松市春日町)

 

春日川橋、春日川橋の下流方向(高松市春日町)

 

 
 

Flower arrangement

 
 

頭上に広がる空間、空(そら)

 
 

A seasonal flower 

◇ウォーキングコースの盆栽神社前に咲いている水仙(すいせん)

開花時期は、早咲きものは正月前頃にはすでに咲き出していて、 4月中旬頃までであるが3月中旬頃から咲き出すものは花がひとまわり大きいものが多い。

 

地中海沿岸が原産で、平安末期に中国から渡来した。

因みに盆栽神社は、盆栽の里に幸福が訪れることを祈念して高台に、樹木の神様と草花の神様を祭った日本でただ一つの神社がある。

 

 

高松丸亀商店街の植え込み

 

 
 

akijiiの塗絵-(04)

今報和暦二十四節気の「音無く輝く銀世界 - 大寒 dai kanです。

 

引き続き、Vol.446-2/3をご覧ください。